快晴を見上げて蝉の果てにけり

 

「方円」2015年10月号清象集掲載。

夏本番、蝉時雨がうるさい季節になった。それと同時に、子孫繁栄の役目を終えた蝉が次々と死んでゆく季節でもある。当然の事だが、蝉は複眼で瞼はない。眠っている時も目は閉じない。死ぬ時も然り。目を見開いて果てる格好になる。仰向けになって落ちて、そのまま果てる時も、当然目を見開いている。それが上空の抜けるような青空を、かっと目を見開いて睨みながら息絶えるように見える。その目はまだやり残したことがあるという無念なのか、安心して空に感謝の気持ちなのか。無表情の眼に様々な感情が見え隠れするように見えて詠んだ句。

日曜日、2年ぶりに開催された京都府吹奏楽コンクールに出場。お陰様で次のステップに進める事になった。もう一度同じ曲を演奏できるのは有難いことだ。しかし、それが叶わない人が大多数を占める。自分もその立場になっていたかもしれない。そんな時、演奏が終わってから「もう悔いはない。出し切った」と思えるだろうか。実は私は「まだ何か出来たはず」と考えてしまう。これが蝉のように七日間で果ててしまう身ならば、最後の最後まで足掻けるだろうか。そう考えたら、常に今この瞬間にできる事をやらねばならない。日常生活においても、例外なくそう考えておきたい。

 

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