家蜘蛛や人には見えぬ糧のあり
自宅の2階に小さな蜘蛛がいる。トイレや廊下の壁際を歩いている。糸を垂らして、網を張っている訳ではなく、ただ歩いている。なにせ蜘蛛はおびただしい種類がいて、ハエトリグモのように網を張らない種類もあり、この蜘蛛がそういう種類なのかどうかは見当もつかない。また、最近ずっと見ている蜘蛛は、果たして同じ蜘蛛なのか。ずっと生き延びているとすれば、普段何を食べているのか。今日2階のトイレで見かけて、ふと疑問に思って詠んだ句。
そもそも私は、蜘蛛の寿命を知らない。生態も詳しく知らない。そこにいるからと、目を凝らして観察する事も普段はない。でも、そこに生きている。何も不思議ではなく、普段考えもしない事だが、世の中は人間だけが生きているのではない。花も咲くし、草も生えるし、それを糧とする動物や昆虫もいる。見えないところで相互に干渉しあいながら生きている。我々はその集合体の中のほんの一部分に存在するに過ぎない。人に説教する時などによく言う「お前だけが独りで生活してるんやないで!」というのは、大きな意味で言えば自然界のこういう状態も指すと言っていいかもしれない。だからと言って、普段からあらゆる生物に興味を示し、じっと観察しろというのはナンセンスだ。気が付けば隣で生きている。そう感じ取るだけでよい。
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