時の日や遺影は年を取らざりき
6月10日は時の記念日。天智天皇治世の671年4月25日、初めて漏刻と呼ばれる水時計が使用された日。太陽暦に換算すると6月10日となるため、大正9年よりこの日を時の記念日とした。そしてそれから10日ほど経つと父の日を迎える。しかし私の父は3年前に遺影になっている。当たり前の話だが、遺影の父は3年経っても76歳のまま。この世からいなくなってしまえば、そこで時間も止まる。時間というものが、今現在を生きている人間だけが共有するものだという事を、改めて感じて詠んだ句。
「あなたは今日一日を有意義に過ごしましたか?」と聞かれれば、私は答えに窮してしまう。平日はいつもの通り仕事に出掛け、いつもの通り帰って来る毎日。休みの日はそれなりに趣味などなどを楽しんでいて、それなりに有意義な時間を過ごしている。淡々と過ごしていても、のんべんだらりと過ごしていても、充実した時を過ごしていても、一日は24時間。1時間は60分。至極当たり前の事だが、それぞれ時間ごとの充実度、密度が違う。時間は刻々と、淡々と過ぎるもので、その時その時を大切に、有意義に過ごさねば、時間の止まってしまった先人、故人たちに申し訳ない。そんな気持ちで、今日一日を過ごさねば。
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