濃さうびを支へる茎の細きこと

 

「さうび」とは薔薇を音読みにしたもの。薔薇の花はあまり得意な季題ではなかったため、今まであまり句にして来なかった。そのため、恥ずかしながら薔薇が夏の季語とは今まで知らず、改めて歳時記を見て知った。それを受けて、改めて庭や色々な所に咲いている薔薇を観察すると、大きく鮮やかな花に比べて、茎が案外細い。私としては、棘があって丈夫なイメージを持っていた。丈夫なのは丈夫そうだが、ここまで細かったのか。ついつい花に目が行きがちだが、全体像を見て、改めて発見したので、至極当たり前かもしれないが、あえてそれを句にしてみた。

花はいずれ実となり種となり、己の分身を次の世代へと引き継ぐ役目。根はその準備として、水を吸い取り、植物全体を支える役目。葉は光合成により栄養を作り出す役目。茎はそれら水や栄養を全体に循環させる役目。どれが欠けても、最終目標である次の世代へのバトンタッチは果たせない。しかし、第三者にとって最も目立つのは花や実であり、その植物を象徴する「主役」として理解される。それでも根や茎は、己の役割を全うする。仮に花が主役と言うならば、それを支える茎や根は互いを支える重要な存在。人間社会に置き換えても、自分一人では生きていけない。しかし人はそれを忘れがちで、己の優位を誇る事がある。私が見た薔薇は、私に「もっとあなたを支えている周囲の人たちを見てごらんなさい」と言われている気がした。

 

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