霜降りて路傍の草の青かりし
「方円」2015年3月号清象集掲載。
私の住む住宅地には、まだ所々空き地があり、草が生い茂っている。近所の公園も、通称「みどり公園」と言うだけあって、一面草が茂っている。冬の寒い時期の朝、そうした所に霜が降りる。まだ無所属だった学生の頃、「霜一面踏まれて消ゆる光かな」と詠んだ事がある。それほど霜の光は美しく、儚い。しかし霜に覆われた草はいかにも寒そうだ。「下萌」という冬の季語があるが、冬でも青々と茂った草はある。そうした草が霜に覆われても、霜の光の間から緑色が顔を覗かせる。どんな環境でも強く生きているという事を実感して詠んだ句。
生命は本来強い。どんな環境にあっても、それに適応する能力を持っている。一方人間は、己の生きやすいように環境を作り替え、整備する事によって生きながらえて来た。半面、未知の病気や現象に襲われたらもろい。例の感染症が幅を利かせ始めてから間もなく1年が経とうとしているが、未だに人間は混乱の最中にいる。恐らくワクチンという免罪符を手に入れ、何とかピークを越えて生きながらえるのだろう。人の英知が人を救う。人間が人間として生活し始めてから、幾度となく繰り返された営みだ。一方自然の生命を見てみると、長年だれにも頼らずに、過酷な環境の中で生き抜いてきた。人の勝てる相手ではない。何でも人の思い通りにできるという驕りは、この際捨てたほうがいいだろう。少数派かもしれないが。
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