冬霧を天に帰せる日差しかな

 

朝、霧が出ていた。単に「霧」なら秋の季語。この時期は「冬の霧」を使う。歳時記には「都会の生活を詠むようになって、都市の冬の霧を独特の生活美として、抒情性と人間ドラマを感じて詠むようになった。まだ未開拓の季語」と説明されていた。確かに、住宅地に霧が発生すると、周りの家や建物が霧の中に浮いているような独特の雰囲気がある。

朝食を終え、ふと外を見ると、日が差していた。霧はすっかり晴れている。理屈っぽく言うと、「空気中を浮遊する水分が太陽に照らされて水蒸気に変わる」という事だが、詩的に言えば「霧が天に帰る」ということになるだろう。そしてそれを手助けするのは日差し。当たり前の日常だが、俳句にしてみると抒情的になる。言葉とは不思議なものだ。

水は凍ると固体になり、蒸発すると気体になる。理科で習う自然の摂理。霧が晴れるとは、液体が気体に変わる事。さらに気体が上空で雲を作り、冷やされて雪として地上に降りたら、気体が液体になり、固体になり、更に地面に落ちて液体になり。と、幾度も同じことを繰り返してきた。誰も反論できない、確固たる事実。人間は万能で、その事実すらコントロールできると信じてやまない人がいて、その人は何でも自分の思い通りになる(する)という確固たる信念がある。強い思いは結構だが、そこは揺るがざる摂理に身を委ねないと、結局自分自身が壊れてしまうのではと心配する。老婆心ではあるが。

 

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