元句:鶏頭の襞の数だけ憎み合ふ
校正後:鶏頭の襞の数混み憎み合ふ
「方円」2003年12月号雑詠(現・明象集)掲載。
2003年は何があっただろうか。思い出せなかったので調べてみたら、米英軍がイラクを攻撃し、フセイン大統領(当時)が拘束され、北朝鮮がNPT(核拡散防止条約)を脱退し、世界各地で爆発テロが相次ぎ、日本国内では少年による事件が多発し…と、何かとギスギスしたキナ臭い年だったようだ。そんな中で見た鶏頭の花。若い当時の私の感覚では、その花が大きければ大きいほど、花の頂の襞が多ければ多いほど、世界各地の憎しみが数多く深い事を表しているという風に見えたのだろう。そのためこの元句のような表現になった。ただ、表現がいかにも若く、鶏頭の襞の数と、憎しみの数を直接的に繋げた比喩と言える。ストレートに伝えたかったのだろう。
一方、主宰による校正では、鶏頭の襞≠憎しみの数と、直接的な表現を避けている。これにより、元句が持つどぎつさを、幾らか緩和している。当時は「なるほどこういう表現か」と何となく思っただけだったが、年齢を経て、句作を重ねるに従って、この校正の意味を深く知るようになった。さすがに経験と感性が違う。こういった表現を深める事が出来たらと、常に思う。
ただ、それでもまだ直接的な少々キツい句に仕上がっているのは確か。下五の「憎み合ふ」も今なら何とかしたいところだが、まだそれを解消するに至っていない。日々鍛錬。
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