実石榴の残らず風に従ひて
「方円」2004年11月号雑詠(現・明象集)掲載。
石榴は花は夏の季語。実は秋の季語。この場合は実石榴ということで今の時期に当てはまる。実際は中の赤い種と、それを包む皮全体が実であり、少し表現したかったこととはズレが生じるが、詠みたかったのは、風が吹けば石榴の実全体が揺れる。当然中の赤い種も、本体とともに風に揺れる。当然の事だが、そこに一体感を見出して詠んだ句。
別の言い方をすると、実の中にいる無数の種たちは、本体の中にいる限りは運命を共にすることになるという事。自分たちを守ってくれる、強力な指導者に従って行動する、いわば運命共同体。これは「長いものに巻かれろ」とは違う。この共同体の中で生き方を学び、種として独立して芽を出し、花を咲かせ、やがて実をつけた時、今度は自分が種たちを養う指導者でなければならない。好き勝手はできないし、責任感というものが生じてくる。人間の場合はどうか。ひとつのコミュニティから離れ、独立すると、自らを縛り付けていたアイデンティティという箍が外れて、好き勝手な行動をしてしまう。一人で外へ飛び出すという事は、集団で固まるより責任感が生じるという事を覚えておきたい。
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