天王山遥かにしたり桐の花

 

「方円」2014年7月号清象集掲載。詠んだ場所はよく覚えていないが、天王山を望む位置にあるので、川を隔てた対岸の石清水八幡宮あたりか。

もはや日常でも使う言葉として定着している天王山は京都府乙訓郡大山崎町にある山。山崎の古戦場としてもよく知られ、JRや阪急電車、京阪電車の車窓からもよく見える位置にある。初夏の青空のもと、紫の桐の花がピンと立って咲いている。眼前には歴史の舞台となった天王山。刻々と過ぎゆく歴史の中で、常に身の回りは生命に満ち溢れているという感慨を持って詠んだ句。

以前お話ししたかもしれないが、今回は「俳句に固有名詞を入れるか否か」という話。

「啄木記」「桜桃忌」など、著名人の忌日を季語として使う場合を除いて、私個人としてはあまり俳句に地名や固有名詞を入れない。それに頼るのではなく、情景そのものを詠みたいという思いからそうしている。しかし、その情景の中に、明らかにありありとその地が主張している場合は、この句のようにさりげなく入れる場合もある。または、句中に入れなくても、添え書きとして説明を加える事もある。この句は「桐の花」と「天王山」が自分の視線を占領したので、思い切って入れてみた。地名を入れて成功した数少ない例と言えるかもしれない。

 

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