昭和よりここに田のあり耕人あり
「方円」2019年7月号円象集掲載。
2019年5月1日、元号が改まる。季節的にはまだ立夏を迎えていないため、春の季語である「耕人」を使っている。
母校の中学校までの通学路は一本道で、周りは竹林に田畑が広がる田園風景だ。特に中学校周辺の風景は、私がこの地に住むようになってから40数年、昭和から平成、令和に至るまで、全く変わっていない。「古い航空写真」というスマホアプリで見てみると、終戦直後は一面田畑で、SLが走る国鉄片町線(現・JR学研都市線)の線路が一本走っているだけ。昔から変わらない風景がそこにはある。本当はもっと昔からあったのだろうが、この句では象徴的に「昭和より」という表現にしている。
一方、後ろを振り返り、線路を少し跨ぐと、一面茶畑と田んぼに、通学のためのコンクリート舗装の一本道だけが通っていた場所は全面住宅地になり、ちょろちょろ流れていた虚空蔵谷川は護岸工事が施され、JRは電化され、綴喜郡田辺町は京田辺市になった。幼少の頃の風景がここまで変わるとは想像も出来なかった。時代が移ろい、昭和も平成も過去になった。これから人も街も劇的に変わるだろう。そこにもこんな田園風景があったという事を、令和になった今こそ記憶に留めておきたい。
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