木蓮の主を偲ぶ如白し

 

「方円」2019年6月号円象集掲載。

我が家のご近所の奥さん。人当たりがよく上品な方だったが、一昨年亡くなった。そこのお宅の庭には立派なハクモクレンがあり、白い多くな花を目にすると、春を感じたものだった。それがこの年の春、いつものように立派な花を咲かせたのだが、この年に限っては故人を偲ぶ供花のように見えた。立派に咲いて個人を見送るような雰囲気を感じ取って詠んだ句。

我が家もここのお宅もそうだったが、最近は葬儀をごく限られた近親者のみで家族葬にするところが増えている。かたや、親戚友人が一堂に会して行う、昔からの通夜葬儀もまだまだ多い。どちらがどうかというのは、それぞれの家庭の事情があり、どちらとも言えないが、大切なのは見送る心だろう。

心と言えば、最近は他者への思いやりが全く感じられない意見が巷にあふれている。人が何かを発信すると、何かにつれて攻撃する人。昨今の病気騒ぎでも、同じことが言える。ご意見ごもっともではある。外へも気軽に出られなかったり、様々な予定が流れたりと、わが身に降りかかる様々なアクシデントに対して、どこかに不満をぶつけたい気持ちもわかる。ただ、責める人がいれば、責められる人もいる。その人たちはいったいどうなるのか。お互い不幸ではないか。そうした応酬で事が前進するなら、それでもよかろう。私はそうは思わない。こういう時こそ、お互いを知り、思いやる心。自分に何ができるかを冷静に考える気持ちを持っておきたいものだ。

 

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