啓蟄や解体進む廃駅舎
「方円」2019年5月号円象集掲載。
JR在来線・新大阪駅の隣にある、普通のみ停車する駅、東淀川駅。瓦葺のモダンな駅舎が可愛らしい駅だった。しかしここは難点があり、3複線の広い広い線路を、通行人は狭い踏切で横断しなければならない。そこで橋上駅舎を建て、自転車も利用できる長いスロープを設け、踏切を閉鎖した。完成後少しの間旧駅舎は残されていたが、春になると解体が始まった。折しも時期は啓蟄。新しい命が土の中から顔を覗かせるその時、古いシンボルは消えゆく運命にある。その対比を詠んだ句。
そうした建物の解体を、ごく日常の見慣れた景色として、空気のように通り過ぎる人もいれば、景色が変わったことに敏感に注目する人もいる。私はどちらかというと後者。そうやってこの目で景色の変化を捉える事が、今の自分の趣味を形作っているのかも知れない。
景色だけではない。自分にとって違和感のある思想、言動にも注視してしまう。最近では、「流行り病で学校が休校になっても、誰も『教育の機会を奪われた』という抗議をしないから、日本は終わった」と述べた記事。不覚にも怒ってしまった。批判して終わり。対案も具体策もない。「ではどうすればいいか」を語って初めて論評ではないのかと。
しかし怒った自分自身、こうした腹立たしい文章をしまいまで読んでしまった。まんまと掌で踊らされたと言っていい。何でも過敏に反応すると、いつか大けがをする。空気として受け流す事も心掛けねばならないと反省している。
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