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アカデミー賞予想 その1


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今年も映画好きにとって楽しみなイベント、アカデミー賞がまもなく開催されますね。日本時間では3/8(月)のAMから、会場はおなじみのコダックシアター。82回目を迎える今回、注目点としては作品賞のノミネートが例年の5作品から倍の10作品に増えたこと。理由として、視聴率や資金面などの「大人の事情」もあるみたいだけど10作品に増えたことで、資本規模やジャンルに関わらず、多くの作品に門戸が開かれる結果となったんで視聴者としても多くのジャンルに触れられるいいきっかけになったんじゃないかな。



というわけで、発表に先駆けて主要部門を勝手に予想しちゃおうと思いますよ。ただ、日本の場合はまだ公開前の作品も多いので独断と希望的観測が多く含まれます。そこんとこはご理解を。被る部分もあるけど、オスカーの前哨戦とも言われてるゴールデングローブやその他諸々の映画賞の結果はあえてシカトです。



長くなってしまうんで、前半と後半に分けますよ。
前半の今回は作品賞と監督賞。後半は主演・助演の男女賞にします。

まずは作品賞。ノミネートは以下の通り。


◆作品賞◆
アバター
しあわせの隠れ場所
第9地区
17歳の肖像
ハート・ロッカー
イングロリアス・バスターズ
プレシャス
A Serious Man
カールじいさんの空飛ぶ家
マイレージ、マイライフ


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カールじいさんって原題は『Up』なのね。
それにしても、ピクサー物からSFまでジャンルも規模もとても幅広い10作品です。『しあわせの隠れ場所』や『プレシャス』なんかアカデミーらしい作品なので納得だけど、『第9地区』みたいなインディ系のSF作品までノミネートされてるのが面白いところ。受賞した暁には、激ヤセ&レーシックでアキバ系からイケメンにリニューアルしたピーター・ジャクソンが見れるんだろうなぁ。見たい・・・でも難しいかな。タランティーノはいつも本当に面白い映画を見せてくれるんだけど、なんというかオスカー向きではない気もするね。


映画まみれR-Peter Jackson  ←まさに劇的・・・


今回のアカデミーの中でやっぱり注目なのはそれぞれ最多9部門でノミネートされてる『アバター』と『ハートロッカー』かな。しかもこの2つの映画を監督した二人は元夫婦という興味深い因果関係もあって個人的にも注目してるわけです。


そんなこんなですが、作品賞の予想はずばり、



☆ 『ハート・ロッカー』



アメリカ人が好きそうな題材だよね。世界のリーダーとして危険を顧みずに異国の戦場のなか第一線で活躍する男たち。「USA!USA!」って感じ。ま、そこを抜きにしても、この映画は極限状態下における人間の葛藤や心の変遷を垣間見るような秀作の予感がするな。



つづいて、監督賞。ノミネートは以下の通り。


◆監督賞◆
キャスリン・ビグロー(ハート・ロッカー)
ジェームズ・キャメロン(アバター)
リー・ダニエルス(プレシャス)
ジェイソン・ライトマン(マイレージ、マイライフ)
クエンティン・タランティーノ(イングロリアス・バスターズ)



タランティーノがもし受賞したら個人的にはものすごく嬉しいんだけど、鉄板は『アバター』と『ハート・ロッカー』かね。ところでジェームス・キャメロンといえば、『タイタニック』を境になんか作風が変わったよね。彼といえばやっぱり『タイタニック』が一番最初に思い浮かぶと思うけど、初監督作は『殺人魚フライングキラー』なんていうトンデモ系なB級映画だったわけです。その後も『ターミネーター』や『エイリアン2』など男子の必修科目的映画を造るヤンチャ野郎だったわけで。それがすっかり更正して、『タイタニック』みたいな壮大な色恋物を撮ったもんだから当時は驚いたもんです。


あのサム・ライミも原点に立ち返ったことだし、ぜひキャメロンにも以前のような暴れハッチャク的鼻づまり映画を撮ってもらいたいものです。というわけで、監督賞も作品賞と同様『ハート・ロッカー』の、



☆キャスリン・ビグロー(元嫁)



映画まみれR-Bigelow&Cameron  ←元夫婦。BAFTA Awardsより。


女性監督がこんな運動部の部室みたいな男臭い映画を撮るってところが脱帽です。そんなマッチョなネタに、心の機微という女性ならではの繊細な部分をプラスして、いい塩梅になってるんじゃないでしょうか。オスカー云々は抜きにしても個人的に今年とても楽しみなところ。


これにて前半は終了。つづきはまた後半でお目にかかります。



チェイサー

『チェイサー』
監督: ナ・ホンジン (‘08 韓国)



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韓国映画といえばどんな作品を思い浮かべるだろう。


香港映画がもはやカンフー物一色ではなくなったように、韓国映画も『シュリ』や『JSA』、『シルミド』といった南北分断という定番のテーマから少しずつ脱却し、様々なジャンルの作品を世に送り出している。


もはや完全に日本を凌駕するまでになった韓国の映画界において、また新鋭のしかも驚くほどの才能を持った監督が現れた。そう、この『チェイサー』の監督であるナ・ホンジンはこれが監督初。この映画を見終わった誰もがそれを疑うと思う。新人らしい荒削りな面も多少あるけど、この映画はそれだけ完成度が高い。しかも最終的に、韓国では500万人を動員する大ヒットとなったっていうんだから末恐ろしい。



簡単に言うと『チェイサー』は、実際にあった猟奇殺人事件をネタ元にした、タイトルが示すとおりの追いかけっこだ。追う者はデリヘル経営者の元刑事。追われる者はそのデリヘル嬢を自宅へ呼んでは次々に殺し続けるサイコキラー。因みに、彼のお気に入りの殺し方は、風呂場で手足を縛る&猿ぐつわにした上で、泣き叫ぶ女のアタマをノミとハンマーでサクッといくスタイル。まるで屠殺のように。



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主人公は元刑事という微妙な立ち位置なわけで、できることは限られる。そんなジレンマを持ちつつ今までのツテを利用して、「商品」を奪ったその男を執拗に追い詰めていく。まず一点、面白いのはこの2人の対照的な心理面。追う者は最初は経営者としての苛立ちから犯人を追う。しかし、失踪したデリヘル嬢の娘と行動を共にする内に次第に「1人の人間」としての良心から行動するようになっていく。犯人である男は、ある種の性的なコンプレックスがあることは描かれるものの全くもって真の動機がわからない。だからものすごく不気味。


韓国映画ってものすごく陰惨で、人間の暗部や根っこにある醜さが徹底的に描かれることが多い。「一番怖いのは人間」なんてよく言うけどまさしくその通りで、人はここまで残酷なモンスターになれるのか、と感じさせる恐ろしさがこの映画にもある。それと、とにかく生理的に嫌悪感を抱かせるのが上手い。というかお国柄なの「素」なのかわからないが。「この部屋はなんだか生臭いな。お前生理か?」、こんな台詞、他の国じゃまず出てこないよ。



2時間強の映画ながら全編ダレることがない。オープニングからエンドロールまで独特の疾走間の中で、まるでシャボン玉を必死で掴もうとするかのように、手に取った瞬間パッと消えてしまう、そんな展開が何度も起こり、もどかしい気分と共にイヤな緊張感を強いられる。



同じく、実際の事件を元に作られた韓国の傑作サスペンスに『殺人の追憶』という映画がある。この『チェイサー』も雰囲気的にはすごく近いタイプ。後味も『殺人の追憶』と同様に消化不良的にとても悪い。エンドロールが流れる頃には、虚しさとやり切れなさに包まれること請け合いだ。最終的には犯人が捕まってめでたしメデタシ。そんなありきたりな刑事物にウンザリしている方には特に見て欲しい一本だ。


因みにこの映画、レオナルド・ディカプリオがリメイク権を獲得し、自らの主演でハリウッドで製作されるそうだ。ネタ切れが叫ばれるハリウッド。日本の映画界みたいにならなければいいけど。



マーターズ



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『マーターズ』 (’09 フランス・カナダ)

監督:パスカル・ロジェ



ここ数年、『SAW』以降『ホステル』や、日本でも『グロテスク』などなど、もっと古く辿れば日本でも海外でも色々あるけど、いわゆる監禁・拷問モノのホラーが多い気がする。


この『マーターズ』もそんな監禁・拷問モノ。しかもフランス産だ。

フランスといえば、ここ最近ホラーがあつい。ヨーロッパや韓国なんかの映画って、アメリカのそれとは明らかに一線を画していて、なんというかとにかくえげつなくて精神的ダメージが大きい。それはホラーでも同じなわけで。


この映画、前半と後半では少し毛色が違うつくりになっている。『ホステル』もそんな感じだったけど、それともまた違う。

あー、これで終わるのね、と思っているところへ突然第二章が始まるような感じ。

しかもメインはその第二章だったりする。


図らずも、もしあなたが誰かにある日突然何の前触れもなしに拉致され監禁され、その上想像を絶する拷問を強いられたらどうするか?逃げることは絶対にできない。助けも来ないしヒーローが現れることもない。絶望的な暗闇と恐怖だけがあなたにある唯一のもの。


必死に抵抗を続け、やがて来る死を前倒しにするか。それとも、すべてを受け入れ最終的な開放へつながる死を静かに待つか。



拷問映画ではあるんだけど、思ったほど視覚的な(スプラッター)要素は控えめで、それよりも何の前触れもなしに突然自由を奪われ得体の知れない連中に支配される、というメンタル面でのホラー要素が強い。そういう点ではホラーではないけれど『ファニーゲーム』なんかがイメージとして近いかもしれない。ただ『ファニーゲーム』が理由のない暴力、ただ暴力の怖さのみを描いたのに対して、この映画ははそこに宗教的な大義名分を与えて、その監禁・拷問に正当性を持たせようとしている。


これが良いか悪いかは別として、今までの作品にはなかった点かもしれない。


『マーターズ』とは殉教者という意味。こういう主題をテーマとして描きたかったのか、単に後付けで持ってきただけなのかはわからないけれど、少し説教臭くなってしまったのは残念なところ。


ただ、テーマはともかくここ最近のホラーではダントツにおススメなのも確か。耐え難い恐怖を味わうには十分な映画だ。もちろん、視覚的な描写は控えめとはいえ、免疫が少ない人にはかなりきついシーンもあるので鑑賞の際はご留意を。

イレイザーヘッド

『イレイザーヘッド』 (‘77/アメリカ)
監督:デヴィッド・リンチ



Eraser Head

デビッド・リンチの映画は理解が難しい。


雇われ監督として、本来のリンチワールドにフィルターを掛けて撮った『エレファントマン』やハートウォーミングな『ストレイトストーリー』などはいざ知らず、その他の作品は、どれも様々な憶測と解釈が飛び交う作品ばかり。そのリンチの起源となり、その名を世に知らしめた作品がこの『イレイザーヘッド』だ。


全編モノクロで流れる映像に、ノイズのような音が終始付きまとう、さながら悪夢のような映画だ。そう、正に監督であるリンチの頭の中を垣間見たような、ひどく気味の悪い感覚に襲われる。普通に映像を追っているだけではおよそ理解は難しいだろう。誰かの夢の中を覗いたように、辻褄や意味などを見出せず、シーン一つ一つが抽象的で、誰かのある時点での心理状態のメタファーのよう。


夢はカラーかモノクロか、夢から覚めてしばらく思い返さないと思い出せないことがある。キーとなるモノやシーンから記憶を掘り起こし、そこから「色を」思い出す。ただ、そのキーとなるもの以外が果たしてカラーであったかどうか?それははっきりとは思い出せないのではないか。この作品がモノクロであるのもそういった意味合いがあるのかもしれない。ただ、それはあまり思い出したくない不快な夢だが。



Eraser Head


この作品は、リンチの「父親になりたくない」という思いを具現化したような作品だといわれている。当時のリンチは、望まずに子供が出来てしまったために青年から大人へ、そして一人の男から父親にならざるを得なかったそうだ。それはリンチにとってはまさしく青天の霹靂、できれば避けたいできごと。その思いがそのまま、この鬱屈したノイズがうずめく中、モノクロの映像で綴られるグロテスクで、悪夢のような映像に仕上がった理由なのだろうか。


作品の中で登場する生まれた子供は、およそ人間とは言いがたいとてもグロテスクな生き物。これこそ、まさに当時のリンチが自分の子供を見たときに感じた、自分にとっての醜悪なモノとして映った対象、そんな感情の喩えなんじゃないだろうか。この子供以外にも、子供が生まれることの暗喩や育てたくないというネガティブな心情が陰惨に多く描かれている。



Eraser Head


リンチの作品はどれも難解だ。一度観て、まったく理解できずにもう一度見る。でも、やっぱり意味がわからない。というより、辻褄を見出せない。そして、しばらくして改めて観てみると、ようやくおぼろげな理解が得られる、ような気がしてくる。


ただ、特に映画はわからないことを恥じる必要は全くない、と考える。作品は観る側それぞれの解釈があるべきだと思っているし、そこには正解もなければ不正解もないのではないだろうか。監督が意図したテーマや想いも、その者のみしか理解できないようなものが込められていることも少なくないから。この『イレイザーヘッド』も正にその類の作品だろう。



自分が観た中で、もっとも難解な作品の一つといって間違いない『ビデオドローム』の監督である、かのデヴィッド・クローネンバーグは、彼自身もこの『ビデオドローム』を完璧には理解していないようで、「わかったと思うと、すぐにその手からすり抜けてしまう。つかみどころがない」と言っているくらい。作った本人が理解できないものを、観客が完璧に理解できるわけがない。



映画を観ることは、ただストーリーやテーマを見出すことだけが重要ではないと思ってる。映像と音、そこから生理的に感覚で得る何かは必ずあるはずだ。それは例えば、とても幸せな気分に浸る感覚、楽しく美しい夢から覚めたようなあの感覚に近いのかもしれない。ただ時には、それは『イレイザーヘッド』から得られるような、悪夢からようやく開放され汗まみれで目覚めるような、決して心地いいとはいえない感覚かもしれないが。


dot the I

『dot the i』 (‘03/イギリス・スペイン )

監督: マシュー・パークヒル



dot the i



家事も一段落して、テレビをつければ嫉妬やら怨恨やらが満載のドロドロの三角関係の昼ドラがやってる。思わず食い入ってみてしまう奥さん。そんな彼女は、TSUTAYAに行けばもちろん真っ先に韓流コーナーへGo。キャスト以外にいったいどんな違いがあるのか?と思えるたくさんのドラマの中からお気に入りの役者目当てでチョイス。そして夕飯の支度をするまでの束の間、若かりし頃を思い出しながらどっぷりとお気に入りのドラマを楽しむ。


そんな奥さん方をターゲットにしているわけでは決してないけど、この『dot the I』はそんな男女が織り成す三角関係、というのが一見すると「売り」になっているが、蓋を開けてみると実は違う。それはあくまでも女性心をくすぐる(そうか?)ためのフェイクの「釣り」なわけだ。しかもストーリーは二転三転のどんでん返し。これは火サスか?いえ違います。断崖絶壁も片平なぎさも出てこないから。


主演は、『アモーレス・ペロス』以降、今やメキシコを代表する役者に成長したガエル・ガルシア・ベルナル。いい男です。彼目当てで観る方も多いでしょうな。自分も大好きな役者の一人。



いうなればこの作品は、名作『ユージュアル・サスペクツ』のような圧倒的な「やられた!」感というよりも、どう考えても先の読みようがない三角関係をセクシャルに描いた『ワイルドシングス』とか『クルーエル・インテンションズ』のような、ティーン向けの小粒なサスペンスという感じだ。


ただ、そうはいっても小粒ながらとてもよくできたラブサスペンスだ。裏切りと嫉妬、そして運命の出会い。ラブストーリーの定番ともいえるプロットだけど、この『dot the I』はそこにまた新しい騙しの試みをしていて女性ならずとも男性でも十分楽しめる作品に仕上がっている。


婚約をした若い二人。そこに一人の男が現れ、彼の積極的な愛のアプローチに次第に心奪われていく女性。その様子を遠くからただ寂しげに見つめる夫。こう書くと、やっぱりドロドロの結末をつい期待してしまう女性も多いと思うけど、ストーリーが進むにつれ度々辻褄が合わないことが起こってくる。そして、その「??」が後半に向けて畳み掛けるように明らかになっていく。



こういった騙され系のサスペンス作品は、夢オチか、そうでなければ最後にすべて言葉で説明し尽くしてしまうか、はたまた、謎は謎のまま観客に委ねる形にするか、などなどいくつかのパターンがある。


そこでいうとこの『dot the I』は、丁寧な説明オチが用意されているわけだけど、バカな自分はまったく予想がつかなかった。この手の作品は、もう一度観てみることをお勧めする。実はオープニング冒頭からすでに「解答」ともいうべき複線が用意されているケースが多いから。一度目は思いっきり騙されて、2度目は散りばめられたヒントを辿って観ていく。驚けるのは一度目だけだけど、またこうした見方をしてみるのも面白いかも。


ラストはある意味爽快で後味は決して悪くない。また、今の映画業界への皮肉もちらっと垣間見れてそこもおもしろいところ。


それにしても、人の心をおもちゃのようにもて遊ぶとひどい目に合います。特に女性のそれはなかなか根が深いんだなと、この作品を観てつくづく思いました。皆さんもくれぐれもお気をつけください。