平日昼間は人が少なく、ゆっくり見学することができました。
自分のペースでのんびりと見たい方は、平日昼間がオススメですよ♪
ここは、7世紀初め頃の大和朝廷大臣・蘇我馬子の墓という説があります。
権力の座は、息子の蘇我蝦夷、さらには孫の蘇我入鹿へと引き継がれていきます。
その蘇我入鹿は、周易を学んでいたようで、
632年に日本に帰国した僧旻(そうみん)の易経講義を受けています。
当時、海の向こうから来た最近の学問を学べるのは、身分の高い貴族だけ。
藤原鎌足も、蘇我入鹿とともに易経講義を聴いたようですが、
彼らの目にはこの易経がどのように映ったのでしょうか。
理解が難しかったのではと思いますが、易経を政治に取り入れようとしていたのなら、是非感想を聞いてみたいものです!