18.Apr.2023

 

マラスの塩田を楽しんだ翌日、今度はマラスの村の先にあるモライへ。モライはインカ時代の農業試験場跡だと言われていますが、写真で見る限り見た目はミステリーサークルのよう。ウルバンバからマラスの村への分岐点でバスを降り、ここからモライへの乗合バンで向かいます。

 

 

この分岐点では観光客相手のタクシーが結構待機しているのですが、バスを降りたところで乗合バンのドライバーに声を掛けられました。モライまで行って、遺跡で30-40分待機して戻ってくるのに往復50ソル(約US $13)でどうかと提案が。乗合とは言えほぼ全員マラスの村で下車、そこからモライまで行って、再び戻るまではプライベートになるのでそんなもんだろうな、とお願いすることに。個人タクシーではなく公共交通機関みたいなもんなのに、個人で交渉をしてしまうところが緩すぎて笑えます。

 

やってきたモライがこちら。丸い部分はミステリーサークルみたいだし、全体を見ると前方後円墳の凹み版という感じがします。それにしてもキレイな曲線!ムユスと呼ばれるこの円形段々畑で、ミクロクリマ(微小気候)を生み出していたのだとか。遺跡も塩田も農業試験場も、インカの人たちってどれだけ凄いんだ!!

 

 

下まで降りて見ると、それぞれの段に行くための小さな突起状の石段が設けられており、ここまでしっかり設計されていることに驚きでした。一段あたり平均して1.8mの高さがあるそうで、この高低差でどのような作物が育つのか実験していたそうです。今は何も栽培されていませんが、当時はさまざまな野菜や穀物が栽培され、青々とした美しい畑だったのかな…なんて思ったり。標高が高いこの地でどんな作物が育つか、その研究結果が現在のアンデス地方の食に活かされているのかもしれません。

 

 

 

 

ここ、モライも標高3,500-3,600m、すぐそこまで雲が降りてきているようで、山々の姿も美しく見えます。

 

 

 

 

帰りはこの分岐点までプライベート利用だったのでドライバーさんと話をしていると、アンデスでも確実に近年の気候変動が感じられ、雨の季節に降らなかったり、気温差が大きくなったりしているそう。以前はどこを見てももっと青々していたのに、とちょっと残念そうでした。

 

また、この辺りの村では年配の方だけではなく、小さい子供でも皆ケチュア語・スペイン語を話すそう。「もっと奥の村に行くとケチュアしか話さない人も多いけど、僕らが話せるから問題ないよ。学校でも授業はスペイン語だけど、ケチュア語の授業もあるし。」伝統文化や言語が失われつつある中で、学校の授業でもそれを取り入れ、守り続けていることに感動した帰り道でした。

 

 

聖なる谷巡りも明日で最後。この10日あまりが濃過ぎて、充実していて、うまく消化できない不思議な感覚…夕方ウルバンバの町でコーヒーを飲みながら、素晴らしい日々を振り返っていました。