この時代、毎日のように傷ましいニュースが、テレビで流されています。

なんだかんだで、平和とは言いにくい世の中だと思います。

犯罪のニュースを見た時、多くの人は加害者に嫌悪感を抱くと思います。
僕もそうです。
あってはならない事が、これだけ毎日起こるのだから、日本が安全とも言い切れない部分があるとも思います。

そして、みんな被害者の気持ちになりますよね?
僕もなります。
ただ、僕はその逆で加害者について考える事があります。
「一体、どう言う心境でやってしまったのだろう」と。

と言うのも、うつ病の症状が出る前の僕は、怒りが優先でした。
「もし、この怒りが爆発してしまったら…」
そう考えると、本当に紙一重の部分は確かにあります。
そして、それは人間誰しもだとも思っています。
「俺は(私は)絶対にやりません」と言う人は、僕は「怪しい」と思ってしまいます。
もちろん、自分の体験からくるものですが、「絶対に」と言い切ってしまうのが一番怖いと思っています。

言葉のあやだと叩かれる事覚悟で言えば、「絶対にやらないように気をつけよう」は、意外と信用できたりします。

僕は「絶対にやりません」の根拠が分からないのです。
何をもって100%なのか?
世の中で起こってることは、全て同じ「人間」がやっている事です。

もう、説明は要らんでしょう(笑)。
本題に入ります。

僕は、うつ病になる前「俺がなるわけない」と、タカを括ってました。
今振り返れば、もし他人に「何で?」と聞かれたら、きっとハッキリとした答えは出せなかったと思います。

病気になって、治療をして、いい経験をした反面、「無知で無茶な自分がいたんだな」と思う事が多々あります。
今は、もちろん同じことを繰り返さないように、どうするべきか?を考える日々です。

この心境の変化は、小さいようで、実を言うと、かなり大きいです。

「絶対にならない」と思っていた頃は、まずならないためのことは当然ながら考えてません。
そして、ならないと決めつけてたが故に、判断が遅れた部分は大いにあります。
これが、「ならないように気をつけよう」と日々を過ごしていたら、なってたとしても、今より軽くて済んだと思いますし、もっと言えばなる前に手は打てていた可能性はあります。

この差が、僕の病気の一番の原因かもしれませんね。

そして、偶然にも、手遅れになる前でよかったと心から思っています。

話を少し戻します。

ニュースを見て、事件がある。
ネットを見ると、被害者を悼むコメントが多く見られています。
それは、凄く大切だと思います。
けど、それ以上に大切なのは、それを見て、見た本人が何を学び、どう気をつければ、どう周りに働きかけて少しでも減らしていけるのか?を考える事がもっと大切なのではないのか。と思うのです。

病気の診断を受けた時に言われました。
「誰でもなる可能性はあります」と。
今思うと、確かに病気も犯罪も、もちろん良いことも、全て人間がやってること。
そうである限り、みんな可能性は0ではない、と言うことを、しっかり思っておかなきゃいけないのではないか?と思います。

その逆で良いことも、人間がやっていること。
誰にでもできる事はあるはずです。
そう考えれば、夢も希望も可能性は0ではないはずです。

これを読んでくれてる人にも分かって欲しいのは、理由やきっかけなんて、千差万別です。
性格も十人十色なわけですから。
だからこそ、それぞれが自分を持って、自分を大切にして、生きて欲しいと思っています。

そうすれば、きっと僕と同じ状況になる人は、少しは減らせるのではないか?と思っていますし、そう願っています。

やってしまった、なってしまったでは、もう遅い場合が多々あります。
僕が手遅れにならなかったのは、ただの偶然だと思っています。

綺麗事が多い時代。
だからこそ、このブログくらいは、正直で、誠実でありたいと。

僕自身も、まだまだこれからです。
肝に命じて、しっかりと生きていきたいと思っています。