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昨日の事件のことで、内密にお話があります。つきましては、下記の時刻、下記の場所にて――。
そんなメールを送信し、今日この場に誘い出したという。わたしが利御にインタビューを試みたとき、やけにあっさりと承諾してくれたと思ったら、こんな裏があったわけだ。利御がここに来た本当の目的は、野次馬根性むき出しで事件の話を聞こうとする我々の欲望を満たすためではなく――真犯人を告発するため。
「私は、やっていない。どうして、何を根拠に」
与那国は必死に抗弁する。利御は軽く受け流し、
「ほら、また悪い冗談ですよ。我々が話していたこと、すべて聞いていたのでしょう? でしたら、これ以上説明の必要もないと思いますが」
「る、るーみすが犯人でないというのは解った。でも、だったらどうして私なんだ!」
汗を垂らし唾を飛ばす。見苦しかった。
バーテンダーが、他の客が、何ごとかとこちらへ視線を向けている。
「理由は先ほどご説明したとおり。いくつもあります」
利御は左手の人差し指を立てる。
「一つ、ひと目で死亡を見て取ったこと」
「そ、そんなの、見たら誰だって判るじゃないか」
「僕は判りませんでした。少なくとも、断定はできかねました。ましてや、殺人現場であるがゆえに足を踏み入れてはならない、などといった発想も出てきませんでした」
与那国は言葉に詰まる。続いて利御は中指を立て、
「二つ、同じくムラサキシジミと断定できたこと」
「それだって判るさ。ああ、判るとも! 私は標本の持ち主なんだ。判らないわけがないだろう!」
「そうは言っても、やはり即座に断言したのは失敗でしたね」
何かを言おうとする与那国を遮り、薬指を伸ばす。
「三つ。自分の靴の処分と交換が可能だったのは、あなただけです。他の方々は皆、一足しか靴を持っていませんでしたから。来客だから当然ですが」
「わ、判らんじゃないか。犯行を計画して予備の靴をあらかじめ持ってきていたのかもしれない」
「計画を立てるのなら、もっと有効な殺人方法を考えていると思いますが。それに、勝手の判らない人様の家で、どうやって証拠品を処分するつもりだったのやら。そんな危険な筋書きでは、とても計画とは呼べませんよ」
「う、うるさい!」
恫喝に、まるで迫力がない。
利御はさらに指を立てた。小指だ。
「四つ。ガラス彫像の指紋です」
「指紋、だと?」
与那国は頓狂な声をあげた。
「それこそ証拠じゃないか。るーみすが犯人だって――」
「まだそんなことを言ってるんですか? 逆ですよ。あなたが犯人であるという証拠です」
「どうして!」
「思い出してみてください。るーみす嬢が彫像を手にしたとき、その場にいたのは誰でしたか?」
言われた意味が解らないらしく、与那国は無言で立ちつくしていた。
わたしは記憶を掘り起こす。希少標本室に全員で入り、そのときに彼女が彫像を手にしたはずだ。いや、待てよ。その前に、ひとり退室した者がいた。そう、《ルキリア》である。彼女がトイレに行くと言ってひと足先に――。
「あ!」
思わず叫んだのは与那国でなくわたしであった。
そうだ、そうなのだ。《ルキリア》が消えると、残るは四人。そのうち《アンリ》は犠牲者であるから、彼を引いて三人。つまり、
「つまり、るーみす嬢の指紋が彫像に付着したことを知っていたのは、僕とあなたのふたりだけなんですよ。彼女を犯人に仕立て上げるという着想を得ることができたのも」
《ルキリア》は知らなかったわけだから、残るのは《ヨナクニ》である。
「麝香さん、それでは君も被疑者じゃないのかね!」
与那国が吼える。
「君だって知っていたんだろう! 彫像にるーみすの指紋がついていたと!」
鬼の首でも取ったような、とはこういう状態であろうか。与那国は利御を指さし、そう言った。
だが無情にも――利御の五本目の指が、親指が立てられ、彼の左手は完全に開かれた。
「五つ。僕は知らなかったし、あなたは知っていた。――彫像に、るーみす嬢以外の指紋が最初から付着していなかったことを」
ぽかんと口を開け、与那国の動きが静止した。
利御はそのまま左手を眼前に持ってきて、眼鏡を押さえる。
「説明が要りますか?」
与那国は応えない。
「彫像には、ただひとりの人物の指紋しか付着していなかった。この事実を知っていたからこそ、犯人はその指紋の持ち主に罪を被せようと発想することが可能だったわけです。もしも僕が犯人で、凶器に彫像を選んだとしたら、当然持ち主であるあなたの指紋がついているものと思いこんで、被害者にはムラサキシジミでなく、別の標本を握らせていたところでしょうね」
左手を眼鏡から離した。
「それは絶滅危惧種ですから、希少標本室から取ってこなければならないわけですが――世界最大級の蛾である、ヨナクニサンの標本をね」
与那国は力なく床に膝をついた。
しばし、静寂が続く。
クラシック音楽が流れているはずだが、頭に入ってこない。
やがて利御が口を開いた。
「ヨナクニさん。僕は、あなたを警察に突き出すためにお呼びしたわけでも、自首を勧めるためにお会いしたわけでもありません。ただひとつ、直接お訊きしたかったことがあるんです」
「なんで――しょうか」
すべてを失い、茫然自失の与那国であったが、かろうじて利御の問いに反応した。
利御はしっかりと彼の目をみつめると、こんなことを訊いた。
「どうして、殺したのです?」
彼らしくない、利御に似つかわしくない質問と言えた。
問われた与那国は、しばらく押し黙ったのち、ようやく口を開いた。
「論文――ですよ」
「論文?」
「そうです。私が書いて、ホームページに掲載した論文です。高山の蝶の分布に関する、私なりの新解釈を発表した――」
「ああ、あれですか。覚えています」
「あれ、自信作だったんです。一番、気に入ってましたし」
「はい」
「それを、腐されたんです」
「ああ、なるほど……」
利御が遠い目をして呟いた。
「彼に――アンリに、論破されたんですよ、メールで。ひと月ほど前でしたか。もう、それこそ容赦なく」
「それで」
「ええ、そうです。それで悔しくて殺したんです」
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