『彼女のためにできること』連載第8回(全11回) | 無人の家で発見されなかった手記

無人の家で発見されなかった手記

──ある素人小説家の陳述

                                      8

「酷い、酷いぞ。酷すぎる!」
「いいじゃないか。ああでもしなければ、僕が無事に逃げられなかった」
「だからって――」
「それに、君へのアドバイスは適切だったよ。君は刺されず、僕も逃げ延びる。最高じゃないか」
 わたしをスズメバチへの人身御供に捧げて自分だけ逃げだした我が親友への殺意は、ひとまず横に置いておくことにした。いつか見ていろ。
 そんなことよりも、大切なことがある。
「黄腰さんが――殺されたんだ」
 わたしはロッジへの道すがら、利御に事件のことを話して聞かせた。発見の様子から皆の昨夜の行動、鼻持ちならない警部補について、三井寺の語った〝精神的な密室〟のことも。
 利御は哀しむことも驚くことも怒ることもせず、ただ淡泊に、
「そうか」
 と言ったのみであった。
「利御、昨日の夜、黄腰さんのロッジへ行ったよな」
「ああ」
「彼女に変わった様子はなかったか?」
「さて。昨夜が初対面だったし、普段と違っているところなんて僕には判らない。まあ、別段異常と思えるところはなかったんじゃないかな」
「何を話した?」
「話をしたとは限らないだろう。まあ、話したけど」
「だから何を」
「夕べに言ったじゃないか。誤解を解いてきただけだよ。それと少々助言もしたかな」
「なんの?」
「人生の」
 ふざけるな。こっちは真剣なんだ。
「何時に戻ってきた?」
「九時過ぎだったと思うけど」
「そのあと何をしていた?」
「昼間に撮影した写真の整理だよ。君が帰ってきて眠りについたあともね」
「何もしていないよな?」
「何が?」
「だから、彼女に何もしていないよな?」
 わたしは言葉を強めた。利御は眼鏡を押し上げ、
「話をしたね。――これは尋問かい?」
「茶化さないでくれ。いいかい、君は生きている黄腰さんを最後に見た人間かもしれないんだよ。これは重要なことだ」
「僕の次に誰が見たかは知らないが、最終的には犯人が見ているだろう」
 君が犯人じゃなければな――言おうとして、呑み込んだ。
「質問は終わりかな」
「いいか利御、君にはアリバイがない。昨夜一緒にいた時間があるうえ、ロッジはすぐ隣だ。殺害の機会もあるということだよ」
「僕が殺したと?」
「そうは言ってない。言ってないけど……そう疑われる可能性が大ということだよ」
「ふん。素敵だね」
 穏やかに吐き捨てた。
「ということは、潔白である僕が警察に――その一条という警部補に――拘束されるかもしれないというわけだね」
「ああ。逮捕とまではいかなくても、それなりの事情聴取はされるだろうよ。もしかしたら任意同行もあるかもしれない」
「任意同行ね。強制連行と同義語だ」
「どうする」
「どうしようね。それは困る。撮影が進捗しない」
 そして我々はロッジに到着した。

 本来であればまともな食事を取りたいところであったが、それは我慢した。利御が持参したサプリメントを、無理矢理ミネラルウォーターで流し込む。何も食べないよりは遙かにましだ。
 つましい昼食がすむと、利御はテーブルに肘をつき、顎を支えて気怠げに窓の外を見ていた。喜怒哀楽が抜け落ちてしまったかのような表情である。微かな溜息をついた。たぶん本人も気づいていないであろうほどの溜息を。
 カメラは無造作に置いてある。ノートパソコンも開かずに。
「そのうち、刑事が来るぞ」
 わたしは利御の横顔に話しかけた。
「ああ、そうだね」
 声に生気がない。
「なんなら、こっちから行こうか」
「いや、それは厭だよ。こちらから進んであの警部補に協力するっていうのは」
「そんなに嫌いかい」
「ああ」
 利御が苦笑した。
「本当なら、さっさとカメラのメモリーを吐き出して、午後の撮影に出かけたいところなんだけどね」
「勝手な行動してると、余計に怪しまれるぞ」
「そうだね、それは面倒だ」
 言って利御は眼鏡を外し、ハンカチで拭きだした。裸眼でわたしを見据える。
「霜月君」
「なんだ」
「もう一度詳しく聞かせてくれないか。――黄腰さんはキャンプ場の北で殺されていたんだね?」
「そうだよ」
「森の入口で」
 わたしは頷く。
「ナイフで刺されていた。そのナイフは君の後輩が持ち込み――」
「三井寺庚」
「そう、三井寺君。そしてそのあとは誰がいつ洗ったか判然としない」
「まあ、そうだね」
「刺された箇所は?」
「さっきも言ったとおり二箇所だけど――」
 ここまで言ってわたしは、はたと気づいた。急にやたらと質問をしてくる利御。これは、まさか――。
「おい利御、まさか、事件の推理をしてみようとかいうつもりじゃないだろうな」
「なかなか冴えてるじゃないか霜月君」
 利御は眼鏡をかけた。
「少しでも早く事件が解決してくれないことには、僕も困るからね」
「だけどな、素人の我々が――」
「確かに僕は素人だし、プロの警察に任せておけばいい問題だろうさ。日本の警察は優秀だからね。だけどこの事件は――ひょっとしたら僕が解決を早める役に立てるかもしれない」
「本当かよ」
「嘘ではないよ。やってみないと判らないけど」
 無理だろう、きっと。利御は、ただここでじっとしていることに耐えられないだけなのだ。だからこうして無駄なあがきをしてみる。
「じゃあ訊くが、利御には例の〝精神的な密室〟の謎が解けるのかい?」
「ああ、それね」
 利御は次に意外なことを言った。
「謎でもなんでもないよ、そんなのは」
「おい、本当か!」
「ああ。何も不思議なことはない。――それにしても、密室なんて随分と大仰だね。部屋じゃないのに」
「どうして彼女はあそこまで行けたんだ? 教えてくれよ。犯人に運ばれたのか? それとも――」
「霜月君」
 あきれたように言う。
「黄腰さんには二本の脚があるじゃないか。歩いて行ったに決まってるだろう」
「だから、どうして」
「行きたかったんだろう」
「答えになってない! ――ははあ、さては、でたらめだな。本当は判っていないんだろう?」
「君がそう信じるのなら、それが君の真実だよ」
「ふん、まあいいよ。つきあってやろう」
 わたしは乗り出しかけていた身を引いた。結局はこういうことなのだ。ただ単に話をしていたいだけ。
「で、なんだっけ?」
「傷口だよ」
「ああ、そうか。――左の脇腹と胸だったそうだよ。傷口を直接見たわけじゃないけど」
「どちらが致命傷?」
「胸だって言ってたな。ナイフが肋骨の間にうまいこと潜り込んで、ちょっとやそっとじゃ抜けないらしい」
「ナイフの柄に血はついていた?」
「ついてたよ」
「出血多量だって言ってたね。君の見たままでいいんだが、どんな感じだった? まさに血まみれかい?」
「いや、そうでもなかったかな」
 わたしは今朝の忌まわしい記憶を呼び覚ます。
「ああ、でも、大量に出ていたんだろうね。一見それほどでもないような気はするけど」
「どうして?」
「地面は日陰の湿った土で、もともと黒かったし。黄腰さんの服装もそうだったし」
 利御が目を細めた。
「ちょっと待て。黄腰さんの服も黒かったのかい?」
「そうだよ。昨日の夜――に彼女がどんな格好だったかは知らないけど、夕方に、ほら、クマバチに刺されたところを利御が治療してくれたとき」
「うん」
「あのときに見た彼女と同じ格好だよ。黒のTシャツに黒のジーンズ。昨日は一日中あの服装だったんだろう」
「Tシャツというと半袖?」
 やけに食いついてくる。
「利御は見ていないのか? 夜に」
「黄腰さんの部屋に行ったとき、確かに彼女はその格好だったよ」
「ならいいじゃないか」
「そうか、半袖か……」
「そういえば」
「なんだい?」
「ひとつだけ、昨日と違ったのがあったな」
 わたしは自分の頭を指差した。
「帽子を被っていたよ。つばのある白い帽子。以前にも彼女が被っていたのを見たことがあるけど」
 鋭く細められていた利御の目が、愕然と見開かれた。そして低く叫ぶ。
「――なんだって!」
「急にどうした」
「それですべてかい? 間違いないね? 黒の上下、半袖、白の帽子だね」
「あ、ああ、そうだよ。間違いない。今朝見たときはそうだった」
 利御は黙り、何度も頷いている。目はすでにわたしのほうを見ていない。
 そしてやおら立ち上がり、しばらく窓の外を見ていた。風邪に揺れる木々を見、蝉の声を聞いている。
「霜月君――」
 黒い背中が言った。にわかには信じがたい台詞を。
「犯人は判ったから、証拠固めをしようか。机上の空論で糾弾しても失礼だからね」

 

第9回

 

闇匣より出ずるもの 闇匣より出ずるもの
1,080円
Amazon