エンタメとはなんだろうと考えたときの話 | 無人の家で発見されなかった手記

無人の家で発見されなかった手記

──ある素人小説家の陳述

 エンターテイメントとは、気遣いのことですよね。そう思います。
 気違いじゃないですよ。気遣いですよ。
 ようは、どれだけ観客のことを思いやれるか。
 逆に言うと、独りよがりなものを創らない、ということです。

 まず、なんといっても観客にとって見やすい、判りやすい仕上がりを心がけるということ。たとえば、読みやすい文体であったり、見やすい画面構成であったり、理解しやすい構造であったり。ゲームだったら操作性も大切ですね。
 小説であれば、書き上げたあとにしばらく経ってから読み返すことが必要です。内容を忘れていても、スラスラとストレスなく読めるかどうかチェックしなければですよ。身内に読んでもらうのもいいでしょう(遠慮して優しい感想しか言ってくれなかったりもしますが)。

 そしてもうひとつが、迂闊に個性とか作家性を盛りこまないこと。
 これがですね、小説を書き始めた当初は、まったくできませんでした。好みの映画やゲームや小説が、作家性の強い作品ばかりだったからかもしれません。塚本晋也さんとか北野武さんとか押井守さんとか須田剛一さんとか小島秀夫さんとか麻耶雄嵩さんとか京極夏彦さんといったクリエイターのお名前が、ちょっと振り返っただけで続々と出てきますが。こういった方々の凄いところは、まずしっかりとエンタメをしつつ、そのうえで個性も出してるところなんですけどね。それが理解できていなかった。
 そもそも個性を出せば印象深い作品ができるという考え方自体が間違ってまして、意図的に排泄された個性など、観客にとってはそれこそ糞便並みの価値しかありません。
 などと過激な(汚らしい)表現をしてしまいましたが。お詫びを申し上げます。

 個性とは、出すものではなく、隠すもの。隠して引いて消して削ぎ落して、もうひとつおまけに隠して、それでもどうしても作品に残ってしまうものこそ、観客も楽しませることができる個性ではないかと思います。
 ……受け売りですけどね。