金井沢碑、山ノ上碑、多胡碑
群馬県高崎市の南西のエリアに、「金井沢碑」「山ノ上碑」「多胡碑」という三つの石碑がある。それぞれ西暦700年の前後に造られたもので、総称して「上野(こうずけ)三碑」とも呼ばれている。不思議なことに、日本国内に現存する古代の石碑というのは十数点しかないにもかかわらず、この狭いエリアにそれが三つも残っている。そのエリアをGoogleマップで表示してみると以下の通りで、三つともこの中に「∴」印で載っている。
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&om=1&ll=36.277009,139.01473&spn=0.032383,0.058193&z=14
数日前、車を飛ばしてその三つの石碑を全て見てきた。行った順に紹介するとこんな石碑である。
■金井沢碑
山中の繁みの中を歩いた先にぽつんと建物があり、そこに保存されていた。磨耗が激しいようだが、字が判別不能というほどではないようだ。726年に造られた碑で、仲間内で仏教の信仰を誓う内容。もちろん仮名のない時代なので、漢字のみで書かれているのだが、日本語の語順でも漢文の語順でも読めないので、原文を直接味わおうとすると大変だった。
この碑は江戸時代にこの辺りの農家が土の中から発見して、洗濯石として使ったりもしていたようなのだが、そういう経緯で発見されたということは、他にもこの地域をいろいろと探せば何か出てくるのではないか、と素人的なことを思ったりもした。
■山ノ上碑
続いて行ったのが山ノ上碑。金井沢碑から車で数分だった。専用駐車場もある。この碑は古い石段を長々と上っていった頂上に、古墳と一緒に並んでいた。繁みの中に寂しく置かれた金井沢碑とは違って、ここにはこの碑と古墳にあやかろうとした様子のものがいろいろと置いてあった。それらはこの数百年の間に作られたようだが、長い石段も江戸時代に作られたもののようで、江戸時代のミーハーな大衆文化が窺えた。その他よくわからん碑がいろいろと置いてあったり、どこかの家の墓もあり、また何やら仏教的な張り紙もしてあった。古墳の中にはエビス様みたいな像が置いてあったが、狭い石室の中に虫がビッシリといたのはかなりの恐怖だった。いずれにしても、金井沢碑とは好対照に、江戸時代から現在まで、この山ノ上碑は人々から一定の敬意を払われてきたようである。
この石碑は681年に作られたもののようで、その内容は、ある僧が自分の出自を詳しく書いて、「母のために記した文なり」というもの。隣の古墳と成立年代が近いようなので、この石碑は墓誌という説が有力のようだが、何やらしっくりこない感じもした。私はこの分野については全くの素人だが、埋葬に直接関連した言及が全くないことや、なぜ「母」のみを追悼するのか、この時代も古墳に埋葬されるような人物は男性が中心で、そうした「偉い」人物を除外して「母」のみを追悼するというのを、自分の個人情報を大々的な形で明らかにしながら行うことが自然なのかどうかということ、などを疑問に思ったのだが、まあ墓というのはいつの時代も遺族の威信と繋がるもので、この僧が自己顕示欲が強いために自分の名誉ある身分を墓誌に詳しく記して、かつこの僧が力のある人物であったために、自分の亡き母だけのために古墳を作らせることが可能であった、しかも現在の素人が思うほどこの時代は男系社会でもない、といった感じなのかもしれんとも思った。いずれにしてもなかなか推測が難しいが、誰かいつか専門の方がここを読んだらコメントでお教えいただけると有り難いです。
■多胡碑
続いて最後、これは高崎ではなく隣の吉井町になるのだが、多胡碑に行ってきた。群馬人なら誰もが知っている「上毛かるた」の「む」、「昔を語る多胡の古碑」の多胡碑である。以上の三つの中でこれが一番有名であり、「日本三古碑」の一つに数えられるものでもある。ならばせめて「重要文化財」にでも指定した方がいいのではないかという気もする。この場所には多胡碑記念館という展示館もあって、そこで売っていた多胡碑Tシャツはなかなか優れもので、しかも1200円という良心的な値段であった。
この多胡碑は711年の「多胡郡」の設置について書かれたもので、碑が作られたのもその頃だと思われる。「羊に給して多胡郡と成す」という部分が論争となっているようで、この「羊」というのが何を指すか、有力なのは人名ということらしい。また、この碑文の書体が非常に優れた形をしているといって評価が高いようで、中国でも模範とされたことがあるようなのだが、素人目には理解できなかった。そう言われてみればそうかもしれんが、、、うーんやっぱりわからん、という感じ。この碑文の後半には、何やら朝廷の偉い人名が並んでいる。全体としては非常にクリアな内容で、現代人にも理解し易い当時の政治・社会制度が浮かび上がってくる。
といった感じの三つなのだが、個人的には、三つのうちで最もノリの軽い金井沢碑が一番好感度が高い。多胡碑はかなりお堅い内容で、山ノ上碑は地位・名誉云々の香りを感じる。その点金井沢碑は「俺たちは仏教に走るぜ」という純粋さや気合を感じるし、石の形が適当っぽくて良い。その割りにあまり人々からモテないのはよくわからん。
いずれにしても、700年前後にこの地域で恐らく石碑を作るのが相当流行ったのではないかと推測されるので、さらに他のものが出てくるのを強く期待したいのだが、まあ江戸時代以後に新たな発見は出てないということなので、難しいのかな。あと、古代史というのはこんなにも少ない史料から考えていかなくてはならないということで、大変だなと思うとともに、やっぱ面白いだろうなと思った。


