書評 その2 | 在宅翻訳者も髪モデルも

在宅翻訳者も髪モデルも

-トライアリスト公認ブログ-

この道15年以上の在宅翻訳者から英⇔日翻訳講座講師になり、
髪モデルとしてモデル事務所に所属しています。
翻訳のこと、髪/髪育のこと、日々の出来事などを綴っていきます。


こんな風な読み方もできるんだなと思いました。言われて初めて気付いたという感じです。


ほかにも、ブログ「SOHO翻訳者の仕事部屋」には以前(本当にずっと前)、こんな↓コメントをいただいたこともあります(全文引用)。

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冷静な文章に感服です。 およべん さん


初めまして。

全てというわけにはいきませんでしたが、数ヶ月分の日記を拝見いたしました。

「冷静」という言葉が現時点の自分の語彙の中で最適と思われるのでそう表現するしかありませんが、一見冷めた視線で物事を捉えているようで、実際には議論のルール(言葉の扱い方と称した方がいいでしょうか)を丁寧に守られているにすぎない、そのような態度で書かれたと推測される文章を読み、正直感服しました。

拝見した日記の中で、言葉を扱う職業に就くということの責任の重さ、そして大きさを最も感じさせられた本日記にコメントさせていただきます。

言葉というものを考えるときに、それは人間を人間として存在させる基盤となるものではないかと思います。

人間が、動物に比べ高度のコミュニケーションを実現できたのも、歴史に学び前進しようという態度を取れるようになったのも、抽象的な思考によって現実とは離れた世界を構築しその世界の中での発展が可能になったのも、全て言葉の存在が前提となっているからです。


一般に、「知的」であるということが「肉体的」であるということよりも上位のものとして考えられている現状も、それを示しているのではないでしょうか。

世の中が法によって律されている現状も然りです。

言葉を扱うことは、人間としての更なる進化へ通じているといっても過言ではないでしょう。

そして、言葉を扱う専門家として、まさに最前線で活動されている方の日記を読み、その際の真摯な態度や「気合」のようなものを感じた次第です。

また、その心構えの必要性は、私が目指しております弁護士という職業にも通じるものだと感じたのです。

本来ならばトラックバックによって表明すべき意見であったかもしれませんが、感動を抑えきれず、長々とコメントとして記入してしまいました。

これからも更新を楽しみにしています。 (2005年10月09日 01時10分32秒)

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このときも、コメントをいただいて初めて「そうなんだ~」って思いました。

本当に客観的に自分を見るのって難しいことなんだと思うのと同時に、もっとたくさんの方の感想を聞いてみたいとも思っています。文はひとつでも、どう読むかはそれぞれに異なるでしょうから。