昨日は、映画館で『バーニング』を観る。

原作は、村上春樹の短編「納屋を焼く」。

 

映画の公開を知ったときは、正直、かなりびっくりした。

「納屋を焼く」は、村上春樹の短編の中で一番好きな作品。

 

好きな作品が映画化されたことへの驚きももちろんあるが、

あの地味な作品をなぜ…という思い、結構前に発表された

作品をなぜいま…という思い、さらに、あの作品は果たして

映画向きなのか…などなど、いろんな思いが湧いてきた。

 

これまでも、村上作品はいくつか映画化されたが、

どうしても見たらがっかりしてしまう気がして、

トラン・アン・ユン監督がメガホンを取ったときすら、

見たいと思わなかったが、今回は見た人の評判がよく、

国際的評価も高いことから、これまでの映画化とは

一線を画している気がしたので思いきって観に行った。

観終えた感想は…すごく良かった。

 

きちんと原作をベースにしながら、映画としても見応えのある作品に仕上がっていた。

正直、あの作品に流れる空気というか世界観をどう映像化するのか半信半疑だったが、

現在の韓国を舞台に原作をきちんとリスペクトした作品になっていた。見事なまでに。

フォークナーを読んでいたベンが車で立ち去るシーンで終わっていれば原作にかなり忠実。

それ以降は原作にはないが、その後半があってこその映画化。最後は、ここで終わる?

と思ったが、タイトルを思い出して納得した。

 

無論、舞台は日本ではなく韓国だし、キャラクター設定や登場人物の関係性などが

異なるため、「原作に忠実」という言葉は、正確には当てはまらないのかもしれない。

それでも、観ているうちに、原作と映画との乖離が不思議なほどに気にならなくなり、

むしろ、1980年代に書かれた小説が、これほどしっくりと異国で映像化できたことに、

ただただ感心した。原作にない内容も盛り込まれているが、それがかえって、

3人をとりまく不可逆的な運命を感じさせる重要なメタファーになっている。

 

この短編が好きなのは、文字通り作品に引きずり込まれたから。

引きずり込まれていることを作中の人物によって気づかされて

我に返ったという体験をしたのはおそらくこの作品がはじめて。

最初に読んだときにフォークナーのBarn Burningのことは知らず、

作中にフォークナーが出てきても関連性に気づかなかったのが、

随分あとになって「納屋を焼く」が英語では韻を踏むことを知った。

 

原作を知っている人も知らない人も楽しめる内容となっているが、

読んでいない人にはぜひ原作も手に取ってもらえたらと思う。