お久しぶりです。
なんとか、ひとつきに1度の更新が続けれてます。
今回のお話は、物語を構成する2本の柱。何年も前から言われていることですが、キャラクター性とストーリー性について、最近のアニメを交え、自分なりに纏めいいきます。
物語を書くにあたって、大きく2つに分けると、キャラクターを中心に物語を進める方法。物語を中心にキャラクターを作る方法があります。
便宜上、前者をキャラクター性を重視した物語。後者をストーリー性を重視した物語とします。
キャラクター性は、キャラ萌えを重視しているといえばわかりやすいと思います。今期のアニメで言えば「だがしかし」「この素晴らしい世界に祝福を」などがわかりやすいんじゃないでしょうか。
「だがしかし」は1話で完結し、どこから見ても楽しめる。物語が繋がっておらず、メインのキャラクターを中心に話が広がっていく。
次にストーリー性重視だったアニメは「僕だけがいない街」「灰と幻想のグリムガル」が当てはまるかと思います。
例えば「灰と幻想のグリムガル」のマナトの結末は、物語の礎になっており、ストーリーに殺されたと言っても過言ではないですよね。
個人的なこれらの見分け方は、プロフィールを思い浮かべてもらえばわかりやすいのではないでしょうか。
キャラクター性とは最初に好きなもの等のプロフィールができていて、それに沿って物語が出来ていく。
ストーリー性は、プロフィールはあるが虫食いで、物語が進むにつれ埋まっていき、時に変化していく。特にこの変化の部分が、ストーリー性の重要な部分であることが多かったりします。
なので、よく聞くキャラ崩壊っていうのは、キャラクター性重視の作品に対して言うのは妥当かもしれませんが、ストーリー性重視の作品に対しては的外れな意見だったりします。
それでは今期アニメを例にあげて、キャラクター性、ストーリー性を中心に見ていきたいと思います。
ポスト冴えカノと言われた「少女たちは荒野を目指す」ですが、おそらくストーリー性を重視していたんでしょうが、展開が単調で各話の繋がりもほぼ皆無。キャラ萌えに全力を注いだ冴えカノに比べ、どちらも中途半端で消化不良な感じがしました。
「無彩限のファントムワールド」は1話冒頭で世界観の説明が始まり、ストーリー性に比重を置いた作品かとおもいきや、蓋を開けてみると1話完結のギャグ展開で、キャラクター性重視の作品でした。
こう書いてると、どちらか一方にしか力を入れれないかのように聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。
「昭和元禄落語心中」では、物語の展開のために八代目八雲(菊比古)の対比として助六というキャラクターが作られたが、ストーリーを進めるにつれ互いの葛藤が浮き彫りになり、キャラクターの掘り下げもできている。
キャラクター性とストーリー性、一概には言えませんが自分がどちらのほうが好きかくらいは、知っておくとアニメをもっと楽しめるかもしれません。
作る側から見れば、どちらの客層をターゲットにしたいかを明確にしなければ、ファントムワールドのように、ストーリー性強いと思って見たのに、実際はキャラクター性重視だった…というような肩透かしを食らった印象も拭いきれないし、キャラクター性重視してる視聴者は1話すら見ない、なんてことがよくあります。ラノベのテンプレタイトルはそれに一役買っていますね。
ちなみに私は、ストーリー性重視のアニメのほうが好きですが、心がぴょんぴょんしたい時ももちろんあります。どちらもどちらなりの良さがあるので、少しでも作品の良い所を見つけれるようにしたいですね。
言いたいことも言えたので今回はこの辺で。
それではまた次回、お会いできることを願いつつ。