経済学のモデルを学ぶ意義 | scientiespotenti

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まず、初めに経済学で多様されるモデルについての説明をしたいと思います。


経済学では現実を説明する際に、現実を単純化します。なぜなら、現実は複雑極まりなく人間には把握しきれないからです。そこで、とりあえずいくつかの仮定を置いて現実のある一面にフォ-カスしてみようということになるのです。


経済学に対するよくある批判には経済理論は常に合理的な意思決定をする人間を想定しており、現実と著しくかい離しているというものがります。大学の経済学の教科書、特にミクロ経済学の教科書を読めば消費者行動(効用関数や無差別曲線)、企業行動(生産関数や費用関数)、市場均衡(完全競争モデル、エッジワースの箱)などその前提には「情報の完全性」「プライステイカー」があります。マクロ経済学におけるRBCやDSGEもその一つです。しかし、これだから経済学は学ぶ必要はないとは言えません。従来の仮定を緩め、経済的な事象に対する拡張した説明を実現した情報の非対称やゲーム理論、ニューケインジアンモデルがあるからこれらを中心に勉強すれば良いと言っているわけではありません。過去の経済学者が緻密に積み上げてきた経済理論にも学ぶ意味があるのです。

経済理論を学ぶ一つの効用は物理学並みの精度で人間行動を完全に表すものではないが、単純化の仮定を置いて議論を見やすくし、結果として現実問題の本質的な一面を見抜くために利用できることです。モデルを学ぶことで常識でも十分納得できるが、モデルの力を借りずに到底思いつかないようなアイデアを想起することができるのです。例えば、デフレ脱却を目的に潜在成長率を引き上げる(経済の余力を上げる)ような政策を行っても意味はないという主張があります。これは経済のパイが増えず人々の所得が制限されている中ではいくらある産業の生産効率を引き上げたところで、その産業への需要が拡大し、ほかの産業の需要が縮小するため、国全体でみると総需要は拡大しないことになります。この発想は補償需要という考え方から理解できます。補償需要には支出最小化問題という仮定が置かれ、人間はできるだけ費用を最小化して最低限の効用を満たそうと行動します。そこである財・サービスの価格が下がるとほかの財・サービスへの需要が減り、その財・サービスへの需要が増すということになつのです。


このように、本当に社会の仕組みを理解するためには制度的な知識だけではなく理論的な理解が必要不可欠になります。制度的な知識を身につけていいれば明日、明後日のことを予測することはできるかもしれませんが理論的な理解が身についている人のように一年、二年さきのことを予測できるわけではありません。プリンストン大学教授で2008年にスウェーデン国立銀行賞(ノーベル経済学賞)を受賞したポール・クルーグマンは学者の仕事は大局を読むことだと主張しています。