こんにちは。野上徳子です。
私は、医師という立場でありながら、ずっと
『生きる価値がない』『死にたい』
と思って生きていました。
過去、
ネガティブな解釈がついてる記憶を
ひとつひとつ丁寧に洗い出していきました。
小学校高学年の時にいじめにあいました。
ひとりの男の子がリーダーで
机にごみを入れたり、陰口をたたいて、
皆に無視するように指示していました。
ある時、
クラスで人気投票をすることになりました。
そのリーダーの子は周囲に目配せをして、
投票の結果、私がクラスで1番になりました。
クスクス笑われ、恥ずかしくて、
自分が消えて、無くなりたいと思いました。
親に言うことも出来ず、
辛くても学校へ行っていました。
これ以降、
ますます人と関わることが苦手になりました。
この時の記憶は、以前にも扱いました。
私は身長30mのウルトラマンくらいの大きさになり、
いじめっ子を放り投げるというイメージしました。
その時は、
イメージを書き換えるだけで精一杯で、
深く取り組めなかったので、
今回、さらに深く考察していきたいと思います。
後日談があり、
このリーダーのいじめっ子は、
中学校に上がってから、
いじめられるようになりました。
いじめる側から、いじめられる側になったのです。
当時私は、「ざまあみろ!」と思っていました。
いじめられる側の気持ちが分かったか!と。
あれから40年、
私もいろいろ学んできて分かったのは、
いじめる側と、いじめられる側
どちらも根底にある前提は同じだということ。
いじめっ子の彼も、
私と同じ思いをしていたんではないだろうか?
彼も自分のことを
価値のない存在だと思っていたと思います。
だとしたら、
この時私はどうしたかったんだろう?
彼とケンカがしたかったわけじゃない。
かといって、
特別仲良くしたかったわけでもない。
お互いを尊重して、
クラスの一員として認めて欲しかった。
そのような会話を彼としているイメージをしました。
改めて、私は何のために、彼にいじめさせたのか?
いじめにあうことで、
人との繋がりの大切さを知ることが出来たし
相手を理解し、自分を大切にするのと同じように
人も大切にすることを学んだと思います。
そして、私は何のために、
クラスで不人気投票1位にさせたのか?
人気投票なんて、所詮他人の評価です。
もちろん人に嫌われるよりも好かれた方がいいけど、
自分自身を好きじゃない人を、
人が好きになるはずがありません。
自分の一番の理解者は自分であり、
自分の価値は自分で決めるため
だと思います。