『体は折れても心は折れない』(知人の言葉を拝借)

自分自身のための日記を書くことにした。毎日。と自分に課した。



転職活動をしようと決めたとき、胃が痛くなった。

もう、会社という組織から守られていない気がした。

逆にいままでは、会社から守られていると心の奥では思っていた。

僕は、会社から守ってもらうなんてことは、何ひとつないのだ。


という心意気を持ってシステム開発会社に入社したつもりだった。


いまから5年近く前のことである。


しかし、実際のところ、会社の居心地はよかった。

まず、個性豊かな同期(でもみなやさしい)に恵まれた。


プロジェクトにアサインされれば、先輩とプロジェクトマネージャに恵まれた。


さらには入ってきた後輩、お客さんにも恵まれた。


プロジェクトはチームプレーだ。個々でやれることは限られている。


その前提の上で、人間関係というのは仕事をしていくうえでもっとも重要なひとつに

位置づけられると思うし、その思いはいまも変わらない。


だから比較的厳しい仕事にも関わらず、ストレスもさほどなく、


いままで日々の業務をこなしてこれた。みんなからのフォローがあったし、


僕もできるだけプロジェクトに貢献しようとした。


ただ、当時は意識してはいなかったが、逆につきまとう思い、というか


迷いがあったのも、いまから思い返してみるとまた事実だろうと思う。


それは、



「この閉じられた世界のなかで、僕はこれからどこかに行けるのだろうか」

という思いだ。

「閉じられた世界」。悪い意味ではなく、よい上司とよい後輩よいお客さんに


囲まれた職場環境。 そして、プロジェクトがはじまった後の多忙な充実した毎日。


さらにはプロジェクトがはじまる前や終わったあとの、平穏な世界が、


いま僕がいるこの世界にはある。



僕にとって仕事とは生きていくうえで充足感を味わうための糧だ。

充足感とはきっと、


「こうやって世の中は動いていくんだ」。という、知らないものを知っていく


喜びと、「その動きにぼくは参加している」という実感を指しているのでは


ないだろうか。そして、そのために働いているようなものかもしれない。


「どこか」とは、そのような実感を得るための、向かい先なのだろう。


外の世界から刺激を受け、内の世界で昇華していく。


あるいは、 内の世界で見つけり培ったたりしたものごとを、外の世界で


試していく。


それを繰り返し、 過去の自分と今の自分との違いを確認することで、


自分が生きている意味のようなものを見出だそうとしているのだ。



なんてね。