トビリシから北へ向かう道は、グルジア軍道と呼ばれている。コーカサス山脈を越えてロシアのウラジカフカスまで続く道で、美しい渓谷に沿って古い教会が点在する。トビリシに来たからには見ないわけにはいかないというくらいの有名どころである。
連泊なので、宿に荷物を全部置いて空荷で出発。荷物を積まない状態のバイクで遠出するのはこの旅では初めてかもしれない。
トビリシの隣町のムツヘタから、グルジア軍道の教会めぐりは始まる。
スヴェティツホヴェリ大聖堂は、11世紀の建築。キリストの聖衣から生えた木にまつわる伝説がある。現在グルジアは文化財の補修に力を入れているらしく、ここも残念ながら補修中。
サムダフロ聖堂は尼僧院。祈りの時間に聖堂へ集まる尼僧の姿が印象的だった。
どうしても頭の中で「穴塗り」という漢字に変換されてしまうアナヌリ教会は、30分ほど走った場所にある。当初は要塞として作られたため、塔のある城壁に囲まれている。周囲は静かなダム湖。
渓谷をぐんぐんさかのぼり、緑の谷間に点在する村を見下ろしながら、標高約2400メートルの十字架峠に登りつめていく。
峠のすぐ下のトンネルの中には羊がひしめいていてびっくりした。羊飼いが群れの移動のためにトンネルを使っていたのだった。
峠を越えると国境までにさらにいくつかの村があり、古い教会がある。
スィオニ教会では、遠足か何かで来ていた女子学生にモテモテ。「キャー、写真取らせてえ」ってノリで取り囲まれた。珍しい生き物だと思われたのかな。皆さん美人揃い。
国境の手前の最後の村ゲルゲティにあるツミンダ・サメバ教会(至聖三者教会)は、道路から標高差430メートルの山の上に建っている。車がやっと通れるくらいのガタガタの道をバイクでブイブイ登っていったが、ハイキングで1時間半かけて登るのが主流だったみたい。お騒がせしてごめんなさい。
こんなきれいな紅葉のトンネルも。
そして登りつめた先にあるのが…
建物の風格といい、立地といい、完璧に近い教会。
実際にここは深い信仰を集めている場所らしく、堂内には信者の捧げるロウソクの光が揺らめき、礼拝する人が絶えない。女性はみんな髪をスカーフで覆っている。
トビリシから140キロのゲルゲティからさらに10キロほど北に行けばロシア国境だが、ロシア人とグルジア人以外は通行できない。渓流が高い水音を立てながらロシアへ流れ下っていく。
帰りは山の変わりやすい天気のため峠で雨に降られたが、日が暮れるころにトビリシに帰着。バイクを駐車場に入れたら、ちょうど集まって飲んでいた駐車場のおっちゃんたちに手招きされた。
プラスチックコップ持たされて、大きなボトル(量り売り用)からワインを注がれ、グルジア式の乾杯に巻きこまれていた。誰かが口上を述べ、「健康のために」などと言って締めくくると、全員がコップのワインを飲み干す。ロシアもそうだったが、この「××のために」という理由がないままに飲んではいけないというのは乾杯の鉄則である。(理由もなく飲むやつはアル中ということらしい。)
俺が入ってから2回目の乾杯の時に、福島の話が出て、その乾杯は「君と、日本人みんな、とりわけ福島の人のために」ということになった。その場の全員が立ち上がる。故人のために乾杯する時は、立たなくてはならないのだ。震災と津波で亡くなった人を思ってグルジア人が酒を飲むというのは、ちょっとうれしい話ではないだろうか。
トマトやチーズやソーセージのつまみも手に持たされ、食べろ食べろと勧められる。駐車場の片隅のささやかな宴が終わる時には、もうすっかり友達扱い。
「君は我々の客人だ。お金はいらない」
と、駐車代も受け取ろうとしなかった。わずか1ラリ(50円)だが、うれしいではないか。
さて、トビリシで楽しみにしていたもの、それは温泉。トビリシという地名も、語源は「温かい」という意味だという。
小さな温泉街が旧市街のはずれにあり、宿から徒歩15分で行ける。旧市街に泊まりたかった理由のひとつが、これ。
公衆浴場「ポセイドン」の薄暗い浴室は、天井がモザイクタイルの花で飾られていて、深い湯船には硫黄の匂いのする湯がかけ流しでそそいでいる。垢すりのおっちゃんもいて、布の袋で石鹸を泡立ててスポンジで全身洗ってくれる。洗ってもらってから湯船につかれば、気分はもう極楽。トビリシ最高!グルジア最高!!
(実は昨日も来たのだが、受付の若い女に「もう閉店したわよ。何時に閉まるかって?そんなの誰が知るもんですか」と無愛想に追い返されたのである。彼女こそ、俺がグルジアで見た唯一の無愛想な人間である。)
本日の走行距離 286キロ(キロポストより推定)
連泊なので、宿に荷物を全部置いて空荷で出発。荷物を積まない状態のバイクで遠出するのはこの旅では初めてかもしれない。
トビリシの隣町のムツヘタから、グルジア軍道の教会めぐりは始まる。
スヴェティツホヴェリ大聖堂は、11世紀の建築。キリストの聖衣から生えた木にまつわる伝説がある。現在グルジアは文化財の補修に力を入れているらしく、ここも残念ながら補修中。
サムダフロ聖堂は尼僧院。祈りの時間に聖堂へ集まる尼僧の姿が印象的だった。
どうしても頭の中で「穴塗り」という漢字に変換されてしまうアナヌリ教会は、30分ほど走った場所にある。当初は要塞として作られたため、塔のある城壁に囲まれている。周囲は静かなダム湖。
渓谷をぐんぐんさかのぼり、緑の谷間に点在する村を見下ろしながら、標高約2400メートルの十字架峠に登りつめていく。
峠のすぐ下のトンネルの中には羊がひしめいていてびっくりした。羊飼いが群れの移動のためにトンネルを使っていたのだった。
峠を越えると国境までにさらにいくつかの村があり、古い教会がある。
スィオニ教会では、遠足か何かで来ていた女子学生にモテモテ。「キャー、写真取らせてえ」ってノリで取り囲まれた。珍しい生き物だと思われたのかな。皆さん美人揃い。
国境の手前の最後の村ゲルゲティにあるツミンダ・サメバ教会(至聖三者教会)は、道路から標高差430メートルの山の上に建っている。車がやっと通れるくらいのガタガタの道をバイクでブイブイ登っていったが、ハイキングで1時間半かけて登るのが主流だったみたい。お騒がせしてごめんなさい。
こんなきれいな紅葉のトンネルも。
そして登りつめた先にあるのが…
建物の風格といい、立地といい、完璧に近い教会。
実際にここは深い信仰を集めている場所らしく、堂内には信者の捧げるロウソクの光が揺らめき、礼拝する人が絶えない。女性はみんな髪をスカーフで覆っている。
トビリシから140キロのゲルゲティからさらに10キロほど北に行けばロシア国境だが、ロシア人とグルジア人以外は通行できない。渓流が高い水音を立てながらロシアへ流れ下っていく。
帰りは山の変わりやすい天気のため峠で雨に降られたが、日が暮れるころにトビリシに帰着。バイクを駐車場に入れたら、ちょうど集まって飲んでいた駐車場のおっちゃんたちに手招きされた。
プラスチックコップ持たされて、大きなボトル(量り売り用)からワインを注がれ、グルジア式の乾杯に巻きこまれていた。誰かが口上を述べ、「健康のために」などと言って締めくくると、全員がコップのワインを飲み干す。ロシアもそうだったが、この「××のために」という理由がないままに飲んではいけないというのは乾杯の鉄則である。(理由もなく飲むやつはアル中ということらしい。)
俺が入ってから2回目の乾杯の時に、福島の話が出て、その乾杯は「君と、日本人みんな、とりわけ福島の人のために」ということになった。その場の全員が立ち上がる。故人のために乾杯する時は、立たなくてはならないのだ。震災と津波で亡くなった人を思ってグルジア人が酒を飲むというのは、ちょっとうれしい話ではないだろうか。
トマトやチーズやソーセージのつまみも手に持たされ、食べろ食べろと勧められる。駐車場の片隅のささやかな宴が終わる時には、もうすっかり友達扱い。
「君は我々の客人だ。お金はいらない」
と、駐車代も受け取ろうとしなかった。わずか1ラリ(50円)だが、うれしいではないか。
さて、トビリシで楽しみにしていたもの、それは温泉。トビリシという地名も、語源は「温かい」という意味だという。
小さな温泉街が旧市街のはずれにあり、宿から徒歩15分で行ける。旧市街に泊まりたかった理由のひとつが、これ。
公衆浴場「ポセイドン」の薄暗い浴室は、天井がモザイクタイルの花で飾られていて、深い湯船には硫黄の匂いのする湯がかけ流しでそそいでいる。垢すりのおっちゃんもいて、布の袋で石鹸を泡立ててスポンジで全身洗ってくれる。洗ってもらってから湯船につかれば、気分はもう極楽。トビリシ最高!グルジア最高!!
(実は昨日も来たのだが、受付の若い女に「もう閉店したわよ。何時に閉まるかって?そんなの誰が知るもんですか」と無愛想に追い返されたのである。彼女こそ、俺がグルジアで見た唯一の無愛想な人間である。)
本日の走行距離 286キロ(キロポストより推定)