ダメ出しの専門家です
1月10日の記事「心理士的に言うと・・・」
私は同じ夢を何度も見ます
・険しい山道をあるいて綺麗な公園に出る夢
細い険しい山道をまるで登山の様に歩く
すると芝生の広い綺麗な自然公園のようなところに出る
そこは外国の様に大きな道路があり
その道路を知り合いが車で通りかかり
「あれ?北村さん、あんな道を歩いてきたの?
こんなにきれいな良い道あるのに」と言われる
なんで私はこの道に気付かづに
険しい道を歩いてここに来たんだろう
どうして他の人はこの道がわかるんだろう・・・
・高速バス乗り場がわからなくなる
高速バスに乗って移動をしようとすると
バス乗り場はすぐそこにあるのに
いつも接続する建物の中で迷ってしまい
高速バスの乗り場に行く出口がわからなくなる
何度戻っても出口がわからなくなり、違う場所に出てしまう
・電車に乗る時にホームを間違ってしまう
階段を上ってホームに出ると
目の前のホームに乗りたい電車がいる
階段をつかって隣のホームに移動しようとすると
なぜか違うホームに出てしまう
その電車に乗りたい!電車まって!
この3つの夢を何度も見るんです
その理由を考えると
私の日常が影響しているのだと思います
「楽をして良い人生など
手に入れる事が出来ない」
現状に満足できずに、なんとかもっと良い状態を求めて
常に心も体も模索している状態
成功には酷使する事がつきものだ
それがこのような夢になるのだと思います
たぶん人から見たら私は
さほど悩みも無く
満足した人生を歩いているように映るかもしれない
しかし、考えてみると学生の頃からずっと
現状に満足する事があまりなく
常にもっと他に、もっと違う事、もっと良い事などを
考えていたと思います
いまの教育の仕事は
自分が計画的に選んだ、好きで独立をした仕事
それでも
「自分にはもっと違う仕事が向いているかもしれない」
そう思う事が多いです
私はどれだけ自己実現を手に入れ
自己満足度が高く
自分らしい生き方をしているのか・・・
60歳まであと数年
あと何年働いて行けるかを考えると
まだまだ満足していない事が多く
満足のいく人生にしたいと考えると
とても時間が足りないし、人生が短く感じます
だから、「急がなきゃ」という気持ちが
常に私を支配しているのかもしれません
もがいて、模索して、悩んで、苦しんで
でも最後は
広くてきれいな芝生の公園に出る
それは
「でも、なんだかんだ言っても最後は満足した結果があるじゃない」
という事なのだろう
原因は私の性分だと思います
性分だから結局私はずっと「もっと」という
この呪いから離れられない