高飛車子です
再放送の「ドラゴン桜」を見ました
そして思った事
やっぱり今の日本の子育てと教育は甘い
生ぬるい
ただの集団生活になっているのではないか?
ドラゴン桜
教育には欠かせない
成長のためのエッセンスがたくさん入っていると思います
ただ、言葉遣いと態度が悪いので
良さが半減しているだけであって言いたい事は
的を射ると思います
親の多くは子育てに迷い
求めるところは心の安らぎ
出来ていない事、うまく行かない事
「私もそうよ、同じよ」が慰めとなる
おぎママの話を真に受けて
子供がりっぱに育つと思っている
子育てに役立つ質問をすると
それだけで子供が成長すると思っている
子育ては子供を育てるのではなく
社会の一員となることができる
1人の人間を育成する事です
社会で求められることが
出来るようにさせてあげなければなりません
様々な子育て論がはびこる中で
だいたい、それらを教えている人の子供は
その方法を使って成果が出てるとか
りっぱになっているんでしょうか?
自分が成果も出せない方法を
どうして人に勧めるのか?私には理解できない
そんなに良い方法ならまず自分の子供で試すでしょ?
自分の子供には結果が出なかったけど
でも良い方法だから
きっとあなたならこれで良くなりますよ?って事ですか
なんだそれ・・・
今社会でりっぱに生きている人って
親が厳しかったとか常に親の一言があったと思います
今の子育てと教育は
言いづらいことを避けて
子供に気を使い
子供を傷つける事を避けて
反抗しないように、ぐれないようにと願う
本当に必要な事を指摘しない
わざと的を外す
親は自分の子供に手を焼きおっかなびっくり気を使い
ガツンと一発叱らない
本当は良い子、根は良い子
いつか気づく、後で気付く、いつかわかってくれる
その時間もったいなくないですか?
気付くのをまつより
早く気付かせれば、それだけ早く成長曲線があがります
30歳になって気付いても恨まれますよ
「もっと早く教えてほしかった」と
子供に言えない、叱れない
子育ての信念がなくぶれる
すぐに楽な方向に逃げて自分を慰める
だから子供が打たれ弱く、自分勝手で協調性が無く
感性が鈍く鈍感な子供が多い
自分をまだ確立していない年なのに
「自分らしさ」「自分らしく」を強調させる
大人だって「自分らしさ」を言えない人が多い
どこかでガツンと現実を教えることなく成長し
社会人となった時に
「こんなはずじゃなかった」となる
私は息子に「どんくさい」と散々言ってきた
あなたはどんくさい子と
言うだけならいじめだけれど
だからどうしなければならないか
どういうスキルを身に着ける必要があるのかを
親が徹底して身に着けさせるから
子供は社会に出て困るような事はない
他人はそれをしてはくれない
現実を教えなかったら社会に出て困るのはその子だ
娘には「ブスだ」とはっきりいってきた
「親がそんなことを・・」と言われたけれど
親が言わないで誰が言うんでしょうか?
間違わないでください
ただブスだと言えばこれもいじめになりますが
顏はブスだけどブスが意地悪だと心もブスになる
心がブスになったら誰も相手にしてくれなくなる
ブスは心までブスになったらいけない
そして身なりをきちんとする事
髪、服、ハンカチ、カバン
どうでもいいような恰好をしてはいけない
食べるときは音をたてない
勉強もおろそかにしてはいけないと
笑顔の練習も大事
それを身につけさせて、子供が困るでしょうか?
現実このままではいけないことを教えこむことが必要です
良い部分はさらに伸ばし強化し
足りない部分、不足している部分はしっかりと指摘をして
改善させるプロセスを親が一緒に歩く事
これが子育てではないでしょうか
その強さと必要性をドラゴン桜を見ていて改めて思いました
子育てと教育は
現状を指摘して、改善させるプロセスを計画し
それを共に歩み
成果を一緒に喜ぶことだと思います
慰める事は他人でもできますが
現状を厳しく指摘する事は親だからできる事
親だからしてあげられること
ではないでしょうか