気品を持つ人となるための「師」 | ダメ出しの専門家・激辛講師北村美由起

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  鉄は鉄で研がれ人は人で成長する

高飛車子です



気品とは人間の値打ちのすべてである


昨日読んだ本の中に書いてあった言葉です


人間の人格的価値を言い表す上において
気品という言葉ほどちょっと外にはない



どんなに高給取りでも
どんなに地位があっても


気品は自然とついてくるものではない
気品のない人はやはり気品がない



人間は望めば

なんでも身につける事が出来る


しかし、この気品は簡単には身に着かず
またすぐには身につける事が出来ない


ほしくてもすぐには手に入らない



人間が形成されるには「血・育ち・教え」
三要素が必要とされる


血や育ちが気品となる

心理学でもいっている「人は遺伝と環境でつくられる」




みなが血と育ちで気品がそなわるわけではない

後はどんな教え、師と出会うかで変化する


人間の後半はこの「教え」「師」の存在が

自分を大きく成長させるのだと思います




先日講師でもある友人とも話したのですが
私達人間は「人間」として育てられたからこそ


今人間としての生活をしている


どう育てられたのかがその人となる


自分の親が狼だったらどうでしょうか


いくら血は人間でも養父がおおかみなら
生肉を手をつかわずに食べることを教え込み
遠吠えすることを教える


そしてそれを身につける


食に関して言えば
私達人間は、赤ちゃんの頃は食べやすく手でつかんで

そのまま食べる事が出来るものを親が用意する


すこし成長すると、
スプーンやフォークを使って食べる事ができるものを準備する


それがやがて日本人はお箸が使えるようにしつけをされる

生まれてから箸が使えるまでの行程があり

それを教え込まれたから使えるようになった


日本人は

日本人となるよう、日本で困らないように育てられる



心理学では小さなころにしつけを受けなかった人は
大人になってから規律を身につける事が難しいと言われています


小さな頃にうけるしつけは

大人になった時の規範のもとになります



気品に戻りますが

気品のある人は人の倍のしつけを受けています


大人になっても

気品のある場が自分には必要であることを意識し

さらに磨きをかけようとします



気品がない人もいます


そんな人は、これでもかと
自分が気品を持ち合わせる人物だと自ら発する


あれを持っている
これを買った


いつもあそこへ出かけ
どこどこへ行っている


みなさん私の財産を見てください
みなさん私の富を知ってて下さい


私って、僕ってすごいでしょ、と

自分で自分をティーアップする


いくつになってもそれをやる



気品のある人は多くを語らないが

だまっていても座っているだけであふれでるものがある



その言葉、その行動、その気遣いに
ただものではない事がわかる


見せかけの気品はそこいらでは通用しても

上級層にはイミテーションだとすぐにばれる


私は人づきあいが苦手で

人とかかわることをしない人は

気品を持つことはないと思うのです



気品や品格は自己流では無理だからです


見て学び

聞いて学び

指摘されて改善する


これはすべて「人」からいただくものだからです




最近は「良い話」に飛びつく人が多い

以前は私もそうだった


あの人の講演会がおもしろい

あの人の話しは元気が出る


あっちこっちと耳触りの良い話を好む


お花やお茶にも流派があるように

生き方にも師の流があるはずだ


それが信念となり生き方となる


それを探すとか、見つけるとか

そんな教育がまったく忘れられている



師を持つ


師の教えは自分の生き方そのものになる

つまみ食いとか良いとこどりはない


自分を含め

最近はそんな生き方をする人が少ない


この話をしていた友人は

田坂広志先生を師と仰ぎ

夢にまで見た「師」と出会えた事にとても感謝していた


真剣にその教えを学び生き方に反映させている

だから、美しい



師を持つとは

その師の考えと教えをむさぼり

「人生」「哲学」をそのまま受け入れる


そして

自分がそのとおりに生きてみるということです

そこから気品が生まれてくるわけです


50歳からの気品のつけ方


そこを私の目標としよう


私の「師」は今日も小山で研修です

いつか「師」を語る本を出そう


後々まで語り伝えるために・・・