高飛車子です
以前誰かが言っていた
同じ親を亡くすという出来事でも
父親と母親とでは違う
いくつになっても
母親を亡くすことはとても辛いと・・・
真央ちゃんのニュース
やはり涙がこぼれます
「ママが・・・」
ママ
私も家に帰れば自分を「ママ」という
子供も「ママ」と呼ぶ
ずっとママと呼んでほしい
それはなんだろう
この子の親であることの証であり
ママであることの喜びであり
ママは絶対的な存在なのだと思う
真央ちゃんはもうママと呼ぶ人がいない
真央ちゃんのママも
もうママと呼んでもらう事ができない
私と同じ年齢の真央ちゃんのママ
自分と重ねて考えてしまう
真央ちゃんはずっとママの病気を心配しながら
でも家のママは死なない
そう思ってきたと思う
家のママはすごい!と
そう思っていただろう
優勝したらママに報告したい
ママに喜んでほしい
子供ってママに喜んでほしいんですね
私もあと何年
子供たちからママと呼んでもらえるのだろう
ずっとずっとママと呼んでほしいし
子供たちのママでいたい
離れて暮らしていても
ママがいることはやはり嬉しい事
少し前に息子に聞いた
「ママの事心配?」
「心配していないと思う?」
聞いてはいけないことを聞いてしまったことに
ちょっとばつが悪かったが
自分が心配をかけていることがやはり心苦しい
息子ははじめて白衣を着た日に
写メを送ってきてくれた
「ママに見せたかった」とメールが来た
見たかった、嬉しかった
子供のがんばる姿が何よりうれしい
だから私も
子供たちの励みになる生き方をしたい
子供たちがすごいと思うような生き方をしたい
いつまでもずっとずっと
家のママはすごいんだよ!
そんな存在でいたいと思う
子供たちのために
そして自分のために
負けない