本体であるXにて続けている #今日はどんな日LFC は、過去のリバプールにとってどんな出来事があったのかを紹介するシリーズ。
今回はその出張版ということで、2002年3月19日についてもう少しご紹介。
上のポストでも紹介した通り、2002年3月19日はチャンピオンズリーグ・グループB最終節でローマを下して準々決勝進出を決めた日。
当時は、32チームが8グループに分けられるファースト・グループステージがあり、上位2クラブがセカンド・グループステージ進出、3位クラブがUEFAカップへというレギュレーション。

このローマ戦はセカンド・グループステージ最終節であり、試合前の時点でのリバプールは0勝4分1敗の3位と低調だったものの、ローマに2点差で勝利且つガラタサライがバルセロナに負けないという条件を満たした場合にのみ突破の可能性を残していた。
試合前からアンフィールドのボルテージは最高潮に達しつつあり、追い込まれた時ほど発揮する力強さ(最近は感じられなくて寂しい…)に包まれていたが、そんな中で更にモチベーションを高めた出来事。
それが、療養中だったジェラール・ウリエ監督の登場。
2001年10月のリーズ戦のハーフタイムに胸の激痛を訴えて搬送され、大動脈解離に伴う11時間に亘る緊急手術を受けて以来、5ヶ月ぶりにピッチサイドに姿を見せた。
『皇帝がアンフィールドに帰還。彼が去って以来5ヶ月、サプライズでの復帰だ。病院へ搬送される時、彼のキャリア以上の多くのものが危機に晒されていた。』
この試合で復帰するのではとの噂されながら、「もしかしたら…」「いや、まさか…」と多くのファンがソワソワしていたが、00-01シーズンにFAカップ、リーグカップ、UEFAカップのカップトレブルに導いた名将を万雷の拍手で迎えた。
実は、この帰還は選手たちですらキックオフ数時間前のミーティングで知らされるというサプライズ。
2020年3月19日にクラブ公式ウェブサイトに掲載された記事によれば、当時のアシスタントコーチで監督代理を務めたフィル・トンプソンとウリエ監督が練った秘密の計画だった。

『選手たちの顔を覚えているよ!フィル・トンプソンとの約束だった。彼に聞いたんだ。「その日、私が復帰すれば選手たちに1%か20%でも力になれるか」と。』
『彼は「間違いないよ、ボス」と答えてくれた。彼や私に近いスタッフしか知らなかったんだ。』
『私が覚えているのは、ピッチに出た時は誰も気付いていなかったが、カペッロだけは私を見つけて長いハグをしてくれたことだ。のちに、彼からは「あなたが戻って来たことで、難しい試合になると分かった。」と言われた。』
『殆ど誰も知らなかった。何故か?試合に集中してほしかったからだ。勝つために何をすべきかに集中してほしかった。私が戻ってくると知らせていたら、全ての記事が私と私の病気と復帰についてのものになっただろう。それは望んでいなかった。』
『選手たちにはローマとの試合に集中してほしかった。2-0で勝つ必要があったからね。』
『彼は「間違いないよ、ボス」と答えてくれた。彼や私に近いスタッフしか知らなかったんだ。』
『私が覚えているのは、ピッチに出た時は誰も気付いていなかったが、カペッロだけは私を見つけて長いハグをしてくれたことだ。のちに、彼からは「あなたが戻って来たことで、難しい試合になると分かった。」と言われた。』
『殆ど誰も知らなかった。何故か?試合に集中してほしかったからだ。勝つために何をすべきかに集中してほしかった。私が戻ってくると知らせていたら、全ての記事が私と私の病気と復帰についてのものになっただろう。それは望んでいなかった。』
『選手たちにはローマとの試合に集中してほしかった。2-0で勝つ必要があったからね。』
心臓への影響も考慮して試合中は冷静でいるように努めていたが、終了のホイッスルが吹かれた瞬間にはYou'll Never Walk Aloneの歌声が響く中でガッツポーズ。
久しぶりにライブで聴いたファンの歌声に感動したともコメント。
『ファンは素晴らしかった。私は彼らの一員であり、それは忘れないでほしい。』
『とても感動的だった。医師がスタンドに居たことも知っていたし、妻もスタンドにいた。本当に特別なものだった。』
『とても感動的だった。医師がスタンドに居たことも知っていたし、妻もスタンドにいた。本当に特別なものだった。』
なお、リバプール退団後、アストンヴィラやリヨンを指導したものの健康面の不安から退任。
その後、レッドブルグループやUEFAでの役職を歴任。
2020年12月14日に逝去したが、フランスメディアなどによれば11月に大動脈瘤の手術を受け、12月13日には退院していた。
改めて、彼の貢献と献身に感謝を送り、安らかな眠りを祈って。


