表現の先生のレッスン1回目でした。
久々に音そのものについてのレッスンが受けられたという感覚。
A先生とはまた違った厳しさを感じるレッスンで「できないかも」と思うぐらい散々でしたので大変満足でした。
音に対する厳しさはあっても、大人の趣味の人がやらなくて良い事、知らなくて良い事はA先生と同じなのか、和声記号は一切出てきませんでしたし、ココは何調ですか?などと言わされる事もなく「何調だからこのような音で」と教えて下さり、ここはsubitoと先生が書きながら音楽用語は教えて下さるという優しさがあり、要するに「知識があっても音に出来なければ意味がない」のその音についての答えを教えて下さる感じでした。
その場で出来た時には「そうです!」とおもいきり言っていただける、それが最大限の誉め言葉で下手に褒められないのが本当に良かったです。
そして一番は私のやっている事を大袈裟に物まねして下さり、それが上手すぎて何が悪いのかがとても捉えやすく、すぐに求められている音を先生が弾いて下さるので耳をフル稼働させて感じて・・・それをその場で音にできないもどかしさ。
言われた事の半分も出来ていないので、現在の課題が浮き彫りとなりその答えに向かってあとはやるだけです。
しかし先生に言われればすぐにアタマでは理解できる事がほとんどで、なぜこれを先に自分で考えられないのか。
その事についてももっと深く楽譜を読み、音楽の流れと音を作る事について考えていかなければと思います。
ソナチネ第3楽章では最初のフレーズについて音とエネルギーの量・変化を教えていただき、そのような考え方で全体の抑揚を自分で考える事が課題となったので、徐々にそのような事も自分で考えられるようになっていくものかと思ったり。
これまで先生も決まらず、何がしたいのかもわからなくなっていた理由がよくわかりました。
A先生のレッスン以降自分の穴を埋める事ばかりを考えていました。
楽譜を前にして弾く事は出来ても「楽譜のその奥にあるものが読めない」自分の知識のなさを感じてしまい弾けなくなっていた事。
やりたくもないのに分析の勉強をしなければ、ソルフェージュを習わなければ、チェルニーを弾けるようにならなければ・・・
そんなような事が積み重なり負担に感じていた事。
やりたくないわけではないし今後も興味が持てる事は勉強しますが、「それをやらなければこれができない」と思ってしまう事、そこからやっていたら人生が先に終わってしまう。
この事もまたA先生の仰る「何を恐れているの?」というブロックの事で・・・また1つブロックを外せたと思います。
これからは自分で出来る限りの勉強もしつつ演奏の事だけを考えて「演奏」をしようと思います。
再開当初の意識とは全く別次元となりましたが「楽しみ」としての「大人のピアノ」に戻れたように感じている所です。
ただ、今度のお教室では発表会にはお誘いもないかもしれませんが、出ようとは思っていませんし、ステップでもと思っていましたが人前で弾こうという意欲が全くありません。
なんだかまた乗り越えなければならない大きな課題を感じて、高度なレッスンによってよりピアノが弾けない自分である事を突き付けられたというのも事実です。
★ソナチネ8番 全楽章
★フォーレ シシリエンヌ