カフェ・トランキラで、不定期に「聖書を読む会」を開催しております、父・森泰一郎が、40数年前に中国は華僑大学で客員教授をしていた頃のエッセイ。連載第二回です。
ご笑覧頂けましたら幸いです。(森耕)
 
僕は、本務校である長崎ウエスレヤン短期大学と華僑大学の姉妹校提携を急いだ。姉妹校提携は、胡第一副学長・陳副学長をはじめ、この後程なく福建省長となる、現国家元首・習近平氏や省幹部が列席された。長崎ウエスレヤン短期大学からは、当時の学長を兼務されていた鎮西学院・秋永薫院長夫妻と僕だけであった。
大学の大食堂を借り切っての祝賀パーテイは、福建省の名物料理がならび、酒はマオタイ酒であった。マオタイ酒は、中国でも最も高価な焼酎であり、アルコール度・40度である。華僑大学を挙げての大パーテイに省の著名人も集まった。僕は、多くの省幹部や大学幹部の人々と盃を交わす内に、気を失ってしまったらしい。目が覚めたらベッドに寝せられていた。大失態をやらかしてしまったと悔いていたら、華僑大学関係者は、よくも強い酒を懸命に飲んでくれたとむしろ称賛して下さった。彼らとはさらに、深い交流が始まった。
日本では、知られていないが、福建省は中国でも有名な茶の産地である。武井茶(ういちゃ)と呼ばれて珍重されている。台湾の山岳地帯にある有名な茶の産地は、福建省の茶農民が、移住して始めたと伝えられている。福建省でも茶の産地の中心は、武井山という2千メートル級の山岳地帯に広がっている。
華僑大学の李亜雲事務局長は、僕と同年で気が合い親しい友人となった。彼の実家は、インドネシアの大ゴム園を経営しており、富豪の息子だが、本国へは戻らずに、華僑大学の事務局長をして、生涯を中国で暮らした。
李亜運は、僕の華僑大学への滞在中に福建省の名所旧跡を丹念に案内してくれた。彼は、一応英語が出来るので、意思の疎通ということはなかった。彼の夫人は、中国銀行の華僑大学支店の支店長で、頭の切れる人であった。多分、アジアの大きな華僑の生まれだろうと思う。
彼が、一日をかけて武井茶の産地を案内するというので、武井山に行った。見事な茶畑が広がり、日本とのスケールの違いを実感した。小さな宿屋に泊まることになったが、そこで食べた食事は忘れられないものとなった。この山岳地帯で取れる産物を見事に料理してあり、最後には、武井茶が出された。まさに、中国の民衆の守り続けてきた料理であり、味であった。
また、彼の案内で、海の守り神・媽祖(マーツー)の祭られている媽祖島の近くまでいった。媽祖島は、台湾領になっており、中国人は渡航できないが、その輪郭は捉えることはできた。地元での媽祖信仰の強さを伺い知ることができた。もちろん、長崎でも媽祖神は、市内の中国寺でも祭られている。蛇足であるが、天正期に日本に渡ったカソリックの宣教師は、異口同音に、アジアでの航海において、水夫たちの媽祖信仰の強さに閉口したと述べている。
後年に、李亜雲の長男を長崎の僕の大学に預かってほしいということで、僕の大学へ受け入れたが、学ならずで香港の親戚の家へ引き取ってもらった。また、庄善裕副学長の息子も預かったが、香港大学へ編入することが出来た。彼は、俊才で日本語の習得が早かった。(続く)