カフェ・トランキラで、不定期に「聖書を読む会」を開催しております、父・森泰一郎が、40数年前に中国は華僑大学で客員教授をしていた頃のエッセイ。本日から連載開始です。
ご笑覧頂けましたら幸いです。
 
森泰一郎は1944年生まれ。長崎県出身です。
長く地元の鎮西学院に勤めておりましたが、学院長を退任後、関西学院大学大学院神学研究科に改めて3年間学び、2021年の春に修了しました。
教会所属の牧師という立場からではなく、在野で聖書研究や伝道、そして執筆を行っております。
皆さま、宜しくお願い申し上げます<(_ _)>(森耕)
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 もう半世紀も前のことになるが、僕は中国福建省泉州市にある中国国立華僑大学で客員教授を勤めており、本務校である長崎ウエスレヤン短期大学(当時は、まだ大学に昇格していなかった)が休暇中は、中国のこの大学で、日本経済論や日本事情を教えていた。当時、まだ本務校では助教授であったが、教務部長を兼務していた。
 もともと、中国のこの大学とは、僕が初めての中国旅行の時に、同大学の祭大堂という教授との邂逅からはじまった。
 華僑大学は、世界の華僑の子弟の祖国教育のために設立された大学で、広東省にある基南大学と共に新中国の建国が成立した60年代に設置された。これらの大学は、一般の大学が管理下にある国家教育部には所属せず、国家華僑委員会の管理下にあった。従って、一般の大学よりは、自由に海外の大学との提携をすることができた。また、これらの大学で学ぶ学生たちも世界の華僑の子弟だけでなく、国内や海外の一般の学生も学ぶことが出来るようになっていた。教師たちも世界から多彩な人材が集められていた。学長は、北京にある国家華僑委員会の幹部が就任することになっていたが、実権は、華僑大学の現地で指揮をとる副学長が握っていた。この大学の副学長の政治的な位置は、ほぼ福建省や広東省の副省長に等しかった。従って、これらの副学長は、全国人民大会の代表委員を兼務することになっていた。ほぼ、華僑大学の副学長は、福建省の副省長の経験者やそれに類する法律家や華僑出身の有名大学教授が歴任していた。
 ほぼ40年前の中国旅行の時に、たまたま立ち寄った福建省泉州市にある華僑大学で、日本語担当教授の祭大堂先生と出会い、この大学のスケールの大きさに心が魅かれた。何としても再びこの大学に訪れ、友好関係を結ぼうと思った。
 一年後に、長崎華僑総会の兪雲登会長を同道して、再び華僑大学を訪問した。兪雲登会長も、福建省福清県出身の3代目の華僑であった。華僑大学は、この訪問を大いに歓迎して下さった。同大学の幹部の殆どの教授たちに紹介して頂き、本務校の休暇中は、同大学で日本語や日本経済論を講義しないかとのお誘いも頂いた。こうして、華僑大学との関係も深くなり、今度は、華僑大学の指導者たちを長崎ウエスレヤン短期大学へお招きした。 
 当時の第一副学長の胡教授や陳副学長、李事務局長が来日されて、約10日間の訪日旅行を楽しまれた。 
 とくに、我が家へお招きしての「すき焼き」に感激された胡副学長は、李白の漢詩を書いて下さった。そして改めて、胡副学長から華僑大学客員教授の称号を頂いた。
 時は流れ、華僑大学創立50年式典が、数年前に開催された。その時は、僕たち夫婦が、日本代表として招聘された。そして大きな栄誉を与えられた。この時の副学長は、嘗て、日本の僕の大学で、学んだ経験があった。彼は、時々、我が家に食事に招かれたことがあるといい、妻が作った林檎いりのカレーライスの味が忘れられないと述べていた。(続く)