ねこねこにゃんにゃん I LOVE DOG!!! -2ページ目

ねこねこにゃんにゃん I LOVE DOG!!!

適当にぐだぐだと

妄想を垂れ流す

桐島部活やめるってよ


の映画を見た。
原作は一度読もうとして入り込めなかった。何者は映画も本も読んだので不思議である。
共学の高校生の話なので、ついぞ縁がない半分ファンタジーなのだが、そんなこともあるだろうなと思える内容だった。

群像劇というのかよくわからないが、複数視点で生活が描かれる。それが1時間43分でコンパクトにまとまっている。
アマプラで300円だが見る価値がある。
邦画ならかなり上位に入る。

映画の内容自体は知らなかったが、creepynutsのトレンチコートマフィアという曲と合わせたYouTube動画でなんとなく知っていた。その動画はかなり映画部に寄せた内容だったが、映画を見たら1つの要素でしかなかった。

バレー部の八つ当たり君とかマジで最悪だし、常に誰かの悪口か下ネタ言ってる女もどうかと思うが、それもまぁ高校生っぽいなと思える範囲で、そんなやついる!?みたいなのはなかった。

これに関しては何度でも言えるし何度でも発狂できるし、もはや映画もそこを山場にしてるだろと思った橋本愛の彼氏発覚シーン
見てて普通に嫌すぎた。
だが、よくよく考えて映画部のオタク君に好意を寄せているわけがないし、アルファグループで仲良くできる茶髪パーマ君にはそれはそれなりの良さがあるんだろうし、これはもう映画の書き方とか俺個人の固定観念とか偏見とかそういうのの塊で、嫌になっている
多分女性が見てもあのシーンで発狂はしないだろう。
ちなみにゾンビ化して橋本愛はパーマに食いちぎられる。

一方で、部長には男女ともに感情移入できるのではないだろうか。後輩にこう言われる。部長が演奏してるとこ見たら好きにならない人いないですよ。
何気ない後輩のこの言葉に部長がどれほど救われただろうか。どれほど勇気づけられただろうか。
だがそれも虚しく、わけわからん常に悪口か下ネタしか言わない女がこれ見よがしに好きな男とキスする。
動揺する心そのままに、化学棟の裏から走り去って部活に戻る。動揺する心を感じながら懸命に演奏する。そして今まで1番よかった演奏ができる。

好きなものに打ち込むって良いね、みたいな感想もあったが、それはそれだろう。

部長は好きなものに打ち込んだ結果、心乱れても立ち直れるような素振りだ
だが、バレー部の八つ当たり君は完全に動揺してしまっている。バレーに打ち込むがゆえだろうが、それゆえに小泉に当たってしまう。
小泉もバド部のおそらく雑魚も、好きなもの打ち込みたいものがあるがゆえに劣等感に苛まれている
ヒロキは好きだったものに打ち込めず、たとえどうあろうと好きなものに向き合うキャプテンや前田に焦がれている

おそらくは好きなものがあって、それに打ち込んで、結果も得られた桐島は部活を辞める
何があったのかは誰にも話さない
もはや部活をやめた後のアイコンで、前田にだけ見える幸せの青い鳥状態だ


好きなことや打ち込めることのなさそうなパーマ、セックス、悪口と下ネタ、リカはマジで空っぽだが、もう少し彼らに焦点を当ててもよかったのではないか

ていうかリカをマジ恋気味に描いたのなんなんだ。あいつは空っぽでファッションとして桐島と付き合ってる方がキャラ立ちするだろう
まぁ現実そこまで嫌な奴がいないという話ではある

個人的にやだなぁと思った2番手はセックスが映画部に掴みかかるシーンで、好きなものや打ち込むこともなく、放課後遊んでセックスしたいだけのやつが、バカにされても好きなことをやろうとしてる映画部に突っかかるのが本当に嫌だった
パーマもヘラヘラしながらも苛立っていて、そういう奴が1番嫌い〜〜と思ってしまった

なんとも言えないし伝わらないので別に気にもしないが、他人は他人で一所懸命に生きている
つくづくこれに尽きるのだが、あまり通じない
何度も思うが人は見かけじゃないし、見かけじゃないと思ってからが本当にしんどい

自分がいかに人を見かけで判断しているか、自分だけでない他の人がいかに自分勝手に他人を見下しているか分かった時、心底嫌な奴しかいないと気づく

誰も真に内面、心理的葛藤に着目しない
見た目に外見、響きの良さに聞こえの良さ、空虚蒙昧たる虚像に心揺れている
その揺れになんの価値もありはしないが、心の揺らぎは虚像を結ぶ。
それが虚像か実像かは難しい。俺がそう思うだけで、網膜を通して視神経を伝う電気信号虚も実もない。

そういうことに気づいて感じいるその喜怒哀楽が、真に自分が人間的存在である証左なのか甚だ情けなく思えてくるもので、それこそもののあはれ、という話である
会社の基準書類の改定委員会があって、本来の枠じゃないところに俺が呼ばれた
去年一緒だったベテランの職員が、一緒にやろうと声をかけてくれた
そいつはもはやレジェンドなので必須メンバーだ
いわく、技術的基準の改定は詳しい人間が呼ばれる
そこに若手がいくことで、知識の継承と人脈を得られるとのことだった

その真偽はどうあれ、課内にいる若手5人のうち、同じ担当内の奴やよく話してる女、よく飲んでる若手でなく、俺を呼んでくれたのが嬉しかった

他の奴らどう思ったろう
昔は他人が自分の思い通りに動かなかったり、やる気や気持ちの差そのもにムカつくことも戸惑うこともあったが、今はどうでもいい
なんかもうどうでもいい
本当にどうでもよくなった

でもどうでもいいからこそ不思議
やることねーのに忙しそうに振る舞う奴
年下にビクついてるのに、業者には偉そうな奴
やり残した仕事に未練があっても何もできない奴
うるせえだけで面倒ごとを押し付けてるだけのやつ
優秀だけどピントのズレてる奴
不思議なやつばっかりだ

俺は優れていたい、優っていたい
鳴っている電話をすぐ取れるやつになりたい
路上のババアを助けられる人間でありたい
ジジイが簡単に道を聞ける人間でありたい
事故が起こったら駆けつける人間でいたい

でもそういう奴らばかりじゃない
もし基準改定に俺じゃない奴が呼ばれたら俺は悔しかったろうと思う
奴らがそう思っているか?と思えばきっと何も思っていないだろう

誰も彼もが評価されたいわけじゃない
職場の評価は人間の評価じゃない

俺は俺の自尊心や評価されたいという思いを、自身の心底の衝動とは思えない
自己肯定の手段であって、手放しに肯定できる半ばバケモノじみた奴もいる

性善とはそういうもので、自己肯定の極限に良心が根付く
なぜなら他人を見るとき、自ずから鏡と以って為すからだ
そういう意味で俺に感受性はなく、空虚蒙昧たる前進に惹かれるのだった
運も実力のうち?能率主義は正義か?

を読んだ
大まかに
・所得格差が増大
・高所得者は能力に応じた報酬なのか?
・大学教育が所得格差に貢献している
・労働の貴賤に対する賤側の不満
というような内容

多かれ少なかれ官僚制というか、一部の頭のいい奴らが上手いことやってくれればいいよ、という政策認識を俺は持っているし、そんな人は少なくないと思う
同じ時期に動物農場を読んだのは非常に示唆に富んでいて良かった
官僚がみな豚だとは言わない
スノーボールのような豚もいる
だが、往往にして動物農場のようなことは起こる

俺は中学受験してるし、大学にも進んでしまったので、どちらかと言えばこの本で言われる勘違いしてる側になる
が、トップクラスの中高に入り、絶え間なく研鑽し、東大に入って云々、というルートではないし、どちらかと言えば中学くらいから失敗して、その失敗した先でも、お!こいつは敵わねーや!という奴らをごまんと見たし、というかそもそも小学生時代から俺がたまたま塾に行ってこいつらより点数取れてるだけで、こいつが塾行けば俺より頭いいんだろうな〜とうっすら思っていた
これを親に相談したこともある
俺より別のやつが勉強した方がいいんじゃねーの?と。答えは覚えていない
ある意味競争から自分を逃していた
そして生活的な能力が学問的能力とそこまで関係がないことも知っている

そんなわけで俺はドロップアウトしてるので、アメリカの厳しい競争で擦れていった奴らの気持ちに寄り添うことは難しい
ただ、コロナ騒ぎでアジア系を蔑視する動画なんかを見ると、多人種国家でほぼ単一宗教の集団において、つまり常に誰を見下す状態にあって、自己の正当化は恙無く行われるだろうなという理解はできる
サンデル自身も書いているが、彼らは彼らで被害者なんだろう

労働が自己承認の一部を担うという発想は良い。新しい価値観を得ることができた
現代っ子?とも言わないが、あくまで労働は金を稼ぐための手段であり、目的でない、みたいな責任感に欠ける認識が跋扈する中で、労働を通じて承認を得る面を強調することは大事だ
承認でなく、実現でもいい
やりたいことをやる、ではなく、自分がやってこうなったんだ、社会の一部を自分が担ったんだ、という認識が重要と思う
それがやりがいなんだろうが、若者連中に対してそれがうまく伝えられないジジイ共を見るとモヤモヤする
文化が違うというやつだろうか

村社会から隔絶された都市生活において、とかく勘違いした連中が多いと思うのは、まるで自分が1人で生きていけるかのように錯覚することだ
それどころか飯を作ってもらって当然というガキもいる
労働をして金を稼いだからなんだというのか
その金で買うのは農家のジジイババアの作った米であり野菜であり肉で、ジジイババアなくして生きていけない
おっさんをバカにしてるパパ活女子みたいな連中が多い
勿論敬意を払うべきでない池袋のジジイみたいな奴らもいる
だが、そいつはそいつで一所懸命に生きてきたんだろうし、手放しで人間を批判するべきでない
あいつの態度は気に食わないが、司法的に裁くべきであって私刑は望まれない

いわゆるクオンツや投機家連中が、ふざけたマネーゲームで信じられない大金を稼ぐのをどこまで看過するのか?は時間の問題だろう
が、肥大化した国家において、一揆や反乱に革命がどう起こせるか俺にはわからない
だからこそフィデルカストロやゲバラの偉大さというのはもはや理解できない

職人や農家連中をバカにしてる?なんて聞かれれば誰も答えないだろうが、自分がなりたい?と聞けば簡単だろう
俺もそうなるつもりだったが結局都市生活に甘んじた
でも心の底で、1,2次産業こそが根源であるという理解と所詮サービス業に従事している自分がなにも生産していないことにコンプレックスを抱えている

これはもう俺自身の内面的問題なのだが、自分個人は肉体労働に向いているし、多分そっちの方が好きだ
そしてそういう労働に従事してもコンプレックスは抱かないだろう
いわゆるホワイト連中がその実何も指定なことを知っているからだ
でもそう働かなかった
かけられた金を思って、と嘯くがそれは嘘だ
俺は逃げている
そうした労働の中に飛び込むリスクを避けた
都市生活にあってほぼ関わりがない世界をはなから拒絶し、心の裡の1,2次産業に従事し、汗水垂らして働きたいという思いを無視した
社会制度の一躍を担う職を選択したのも、少しでも自分の行動を正当化したかったからだ

間断ない自己の正当化に自分自身で気づいた時、俺はもうどうしたらいいのか分からず、惰性で回り続けている

こんなタイトルにする必要もないが、とにかくいろんな本を読むようにしている。
色々読んでいるが、覚えている範囲で箇条書きすると

私が正義について語るなら
文字渦
死に至る病
風姿花伝
論語
生命とは何か
愛するということ
闇の奥
生物から見た世界
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
楽園のカンヴァス

という感じ
もう少しある気もするがまぁいい
ちなみに順番は適当

フランスの小説家が、私は完成された文学で育ってきたから、私が描くものもまた完成されたものであると確信を持っていた、みたいなことを書いたインタビューを見た記憶がある
逮捕されてしまったが舐達麻のバダサイが、日常のいろんなことを歌詞にすることで、ネガティブな感情も芸術として昇華でしるということを言っていた

そんなわけで自分も小説を書いてみたいと思えてきた

興味ある本や、いわゆる名作を買ってみたり本屋で気になったものを買っているので、あまり脈絡がないが、ここまで読んで感じた事は岩波文庫は名作揃いだという事である

特に論語が丁寧な形式になっており、なかなか良かった

順番としては、生物から見た世界から読んだのだが、シュレディンガーの生命とは何かも示唆に富み、なるほど理科学的極地から見た生命はこんなふうに見えるのだなぁと感心した

風姿花伝はどちらかといえば、指南書的な要素が大きく、ふーんそうなんだで終わったが、花なるものがいかに生物的に振る舞うか丁寧に語られていた

死に至る病は、絶望について語られるが極めてキリスト教的極限に立ち入っており、キルケゴールの生きた時代の閉塞感とともに、キリスト教徒の持つ自負を感じいらせてくれた

やなせたかしの現代スーパーヒーローはコマーシャル的というだけで読む価値はあった

愛するということ、は今更になって愛するとはなんだみたいなことに立ち戻ってしまったので、まぁ良かった
同時に俺がこの地平に足を踏み入れるのはもう少しかかりそうだなとも感じた

楽園のカンヴァスは特にない
丁寧な取材の一方で非合理的かつ感情移入の全くできない女性ムーブがつらかった

文字渦は面白かったが他人には勧めない
面白いが読みづらいのだ
内容は、文字について考えるとこんなものになるのかと作者の引き出しに驚かされた

生物から見た世界は、生きていて感じる主体による主観さが明瞭な個人の物理的資質に依存することを改めて突きつけられ、目が覚めるような思いだった

闇の奥は2章まで全くもってつまらなかったが、3章で全てを持ち返した。its horror!とマーロウによる改竄だけでも読む価値がある

アンドロイドは電気羊の夢を見るか、は非常に面白かった
おそらくだが訳もかなりいいと思う
古典的名作であるが、なるほどこれは名作だなと心底得心いった

まぁそんなこんなで結構本を読んでいるが、色んな地平に目線が飛ばされてこれはこれで面白いものだ
中学受験の時、難病にかかりどこにも出かけられない遊べなくなったらどうするか?みたいな国語の設問で、確か模範解答が読書だったと思う

いきなり小学生を遊べなくして読書に打ち込ませるのはいかがなものかと思うが、この年になるとなるほどそれは確かに模範解答だろうと思えるものである
欲を言えばそこから音楽でも文芸でも絵画でも彫刻でも、何がしかの芸術に昇華するとなお良いと思う
小学生がそんなこと抜かしたらムカつくだろうが

まぁ今年は論文試験もあるし、小説を書いてみたいという欲望もできたので、読んでは出し、読んでは出しに挑戦するぞ〜

最近良く本読んでいる
なんか職場の試験を受けて、親に本を読むから優秀みたいなことを言われて、自分でも本読んでないから思考が浅くなってるなと思い読むようにした

中高生の時分は物語を読むのが楽で、批評説明は何かなじまなかったが、不思議なもので今は物語を読む方が難しい

ということで説明文ライクな本を読む機会が増えるがこれもこれでストレスは溜まる
難しい


ということで現時点までで読んだ本
銃・病原菌・鉄 上下巻
カバーニャ要塞の野良犬と表参道のセレブ犬
葉隠入門
日本の弓術
文明の暗号
人生観が変わる宇宙物理学
ラグビー戦術の新しい教科書
あなたに似た人

まぁそれぞれ感想を書いてもいいが、どうせ面白くもないことになるので省略する

順番をめちゃくちゃに書いてしまったが、葉隠入門を読んだ後に日本の弓術を買った
スポーツにおけるゾーン状態を引き出すための例示として、何かで引用されていたのを読んで興味があった
葉隠の武士道と近い道のりが感じられた

止揚という言葉がある
矛盾する要素を発展的に統合するという意味で、思弁的到達点は全てここに近い
矛盾撞着した事物を融合し、新たな境地へと深めることの輪廻が人を成長させる

そういう意味でただ本を読むだけでなく、自身の経験や考えを融合させていかなければいけないし、他の本で得た知見もより混ぜる必要がある
難しいのはここで、ショーペンハウアーもここを書いているのだと思うが、そもそも読みづらいので本当にそうかは知らない

まぁとにかく葉隠の謳う俺もやったろうの精神は何か近しいものを自分にも感じるが、一方で細やかな気遣いや謙虚な姿勢など、自分と相反する理想論も多く、なんだかなと思う

そんなこんなで悶々としていたときに、高校の友人と飯を食って小林秀雄の話を思い出した
そうだった俺は小林秀雄の文章が好きだった

高校や大学のころと今の自分が決定的に違うのは、自分と違う人間もいるし、俺だけが正しいわけではないな、という思いによる

というか、他人は他人の事情で生きてるわけで、俺がむかつくなと思っても、彼彼女にはそれなりの理由があるから、別にそれを強く非難する必要はないな、という思いだ

これがなんで生じたのか覚えていないし、仕事と関わっているわけでもなさそうなのだが、とにかく他人は他人で必死懸命に生きているわけで、それで受ける不利益もあらぁな、思うようになった


こういう時期なので、何したいの?とか聞かれるが、特にない
僕の考えた最強のサービスを実現する、と言えばそれで終わりだが、まぁそんな大仰なこともいらないと思う

昔、ジョーカーゲームという小説を読んだ
スパイ小説で、どちらかと言えば児童文学に近いと思うが、とにかく面白かった
その中で主人公が、スパイになるべく尋常ならざる努力をする同僚について描写するシーンがあり、それがいつまでも脳裏を掠める
曰く、自分をの優秀さを誇示するためだけに訓練をこなす

これこそ男の思い描くなすべきところの極地だろうと思ったマッチョな思想だ
動物の求愛アピールが転じている
優秀さの誇示に雄のリビドーを感じ、優秀さを捨て置いた順位を捨てた個体の満足に重きを置く生き方は去勢されたも同然と思う

が、それはそれである
彼らにしたって、優秀さの誇示に端から距離を置いていたわけではないだろうし、拠のない理由で人は変わってしまう
それを合ってる間違っているというのは時間の仕事であって人のすることではない


SNSをやっていて良いことは、あまり関係のない人間のことを知れることで、特にTwitterは悲喜交々ながら、よりマイナスな言説が見れる
そこでコーチングというのを知った

コーチ、監督といえばスポーツのイメージだが、それの人生版みたいな感じらしい
これをこう考えてこうしてはどうか?みたいな

スポーツコーチングもまぁ色々あって、スキル、ストレングス、コンディショニング、メンタルと様々だが、おそらくメンタルコーチに近いんだろう

他人に相談しても、半ば心を閉ざしているというか、自分もそうだな?と思えることにしか真に響かない
が、コーチングというサービスにすれば対価を支払っている以上、真剣にやりとりせざるを得ないので、良い商売だなと思う

まぁそんなわけでそのコーチングを受けて鬱的な状態を脱したらしい人のツイートで、その人のこれまでの人生をまとめたnoteを読んでなるほどぉ〜?と思った

人生をまとめたnoteで既にオチなのだが、結局、これまでの自分の歩みを省みて、明るい内容と暗い内容に分け、そこから自分が何を得て、何を失って、何がしたいのか?の整理をしているようだ

これはもうセルフマネジメントしろよとしか俺は思わないが、コーチングが必要な人間もいるんだろう

ただ、これはこれでより悪質な洗脳紛いだと思う
自分の気持ちを分解して整理することはあまりよくない
就活で鬱になるやつは大抵、自分をバラバラに分解して考えていると思う
良くない、というのは、自分をバラしても自分なんて出てこないからだ
マトリョーシカである
金太郎飴でもいい
あるいはフラクタルでもいい
どんなに自分を切り刻んでも永遠に出てくる自分のどうしようもない愚かさを否定してはいけない
刹那的な感情やイベント、その時々のテンションによって判断は狂う
大体、すぎたことを思い出すとき既に脳は記憶を改竄している
後から見たときに自分をバラして整合をとろうとしても、取れるはずがない
死んだときにようやくまとめられるだろう
それも当時の想いは無視して、無理やりだ

方法序説は優れた方法論だと思うが、こと感情や自身に対する考察を行うにあたって自分を分解していく作業は必ずしも推奨されるべきでない

しかもこの作業に他人が介在してくるのはもっと良くない
勝手に意味や意義を付与されたり、本来マイナスな自分の人生経験を、別の側面から見たプラスとして表現される
それで仕切り直した自分は本当に自分なのだろうか
自分を切り刻んで再構成したと思って、汚物を取り込んだお前がキマイラでないと誰が言えるのか
神話上の怪物ならまだいい
他人の言説を端折ってこねくり回した粘土細工の哀れなピエロになってないと言えるだろうか

承認欲求や自己肯定感を満たしたい気持ちは分かるし、俺もそうだが、まずは自分を探そうとするのをやめた方が良い
その場しのぎの嘘だらけで、どうしようもなくみっともなく、一貫性のかけらもない、不誠実の塊が自らの人性だということを認めた上で、それでも生きていく、それでも自分は自分だとする心が性善である


数学というほど数学になじんでもないが、物理学にはそこそこになじんだ
大学でも物理系を学んだし、今も心惹かれるのは物理学であると思う
他の学問を専攻したことがないので、恐らく物理学だけのものと思わないが、応答についてなんとなくでも理解できたことがプラスになっている

よく2重振り子で例えられるが、物理系はその系がどんな構造かによって入力値一定でも応答が変わる
言ってしまえば関数であるが、どちらかというと物理系挙動そのものに関心があるので、入力値と最終的な出力値にはそこまで意味がなく、入力値に対する各時刻での応答反応の解析に努力したことが、人生全体にプラスになっている

他の人になったことがないのでこれもまた曖昧だが、人は読んだものに影響を受けやすい
しかし、その影響はある単一のものによるのか、複合的なものなのかを区別するのは難しい

何が言いたいかというと自分がそもそもどんな系なのか、そして入力値はいくつあるのかを理解していないと自分の心はバラせない
さらに他人を巻き込んで、安直な救済を求めていては、心をバラすどころか上から塗りつぶすも同義と思う

宗教的な観念を嘲笑する一方で、科学の皮を被った洗脳に熱狂する矛盾撞着した心を果たして褒められるだろうか

オンラインサロンだろうが、会員制バーだろうがマイメンビジネスだろうが、なんだろうが、人は繋がりなくして生きていけない

都市生活は人を勘違いさせる
高度に発達した国家制にあって、細分化された階層社会やインフラネットワークに、誰も彼もが自立した人間と勘違いする
何も自立していない
適材適所の名の下に誰かに他の仕事を外注させている
そもそも生きる時点で誰かに迷惑をかけている
だから誰が何をしているだどうだでやたら目くじらを立てて非難したところであまり意味がない