平成元年7月25日手術13時開始。

何もかも覚悟して、天井の模様ばかりみて、OP室へストレッチャーで運ばれる。

本当に帰ってこれるか、不安がよぎる。
えびのように丸くなり、背骨に麻酔が打たれたような記憶があるが、

あとは何も記憶なし。
気がつくと、時間は夜7時頃か。

Dr,Yがいる、「取れない、これは神経腫瘍で神経そのものが腫瘍だから、取れば下肢に
必ず麻痺がくる」「悪性かどうかも、わからない。」「サンプリングした、検査に出す」
「髄液除圧のためシャントを埋めた、これが効けば、首の痛みは取れる」
「背骨を割って開けてある、しばらく持つよ」
ショックのほうが大きかった。

結局、腫瘍は残っている。ほぼ手付かず。
とる時は半身麻痺覚悟でやるしかない。

その後、1週間は寝たまま、抜糸するまで寝たまま。

ご飯も、おにぎり、ベッドは30度しか起こされず、鏡を見て
飯を食う、ストローで味噌汁飲む、排便もベットで寝たまま、おしっこはフォーレで
でも、首の痛みは消えた、右足の感覚が変だ、右足が重い。

その後は、次第にベッドに座り、車椅子で移動、歩行訓練、だんだんと歩けるようになり
約2ヶ月で退院し、
一本杖で帰宅。

1ヶ月ほど自宅で加療し、職場復帰を果たした。

しかし、本当の苦しみは、この後であった。
病巣が発見され、どっちにしろ詳細がわからない、県内の私立病院で唯一精度のいいMRIを売りにしているHSPに検査のためにタクシーを飛ばす、そこはMRI検査をまっている人が大学病院からも来るほど繁盛していた。

大学病院にも無いMRI、なんと我が故郷は医療が遅れているのか。
それとも、どこに行ってもこんなものなのかそのころは判らなかった。
とんでもない、狭いドームの中で約1時間、絶望と狭所恐怖にがまんして、検査した。
たったこんれだけで、手術決定である。

そのエイリアンの姿は、MRIに完全に浮き上がってきた、頚椎真ん中付近からから胸椎の全体にかけて白くなって脊髄内を埋め尽くしていました。

ただ、頚椎側には真ん中に黒く影ができていたので、これが「強羅」ならばシャント術で減圧可能であると言われたが、開けてみないと、取れるか取れないか、とにかく悪性ならば、命にかかわる、コバルト照射もあるとか、決心するしかなかった、手術は7月下旬の夏日の日に決まった。
新年に入り、昭和から平成になって
これは、もしかすると今年は、大変な年になる予感があった。
次第に、体調は悪化してきた。
子供らとも楽しい時間も難しい。
長男はまだ2歳、肩車が首が痛くしてやれない。
夜もろくろく眠れない。
通院は、いぜんと心療内科、医師の診断は変わらず吐き気も、視覚異常も
排尿不良も、腹部膨張感も、ぜーんぶまとめて、心因であるらしい。

実は、背骨のエイリアンのうごめきなのに。
どうにも私も医師も気がつかない。
だいたいがあまりにも稀な病であった。半年がさらに経過した

やっぱり、もう一回、右足もだるくなってきたし、整形外科に行くことにした。
受付にはすでに以前受診した、Drはいなくて、新任の医師が診てくれた。
そこで、ついに右足のひざの下をたたき反射を見た瞬間、まるで漫画の1シーンみたいに、目線以上に跳ね上がった。
医師も驚き、「これは脊髄に何か要因がある!」と、すぐ検査となった。

脊髄?セキズイ?ってナニ?足なのに、どうして背骨なのか。
まだ、検査機器も原始的な時代、良いMRIも県内病院では少ないため
全国でも精度の高いMRI検査の前に、まず「ミエログラフィ検査」を3回ほど行った。
エビのような格好で背骨に太い注射をうつ、最初は、腫瘍が造影剤の通過を邪魔するほど膨れて髄液内を通過しないのである、髄液は透明なはずなのに黄色く汚れていた、背骨が熱くものすごい激痛である。

3度目、これで、エイリアン(腫瘍)の姿が見えたのである。ついに発見!
その時Drの発した驚きの声と腫瘍という言葉に、検査室となりで待っていた妻の叫びに近い嗚咽が聞こえてきた。

これでもう人生終わったと思い。先が何も見えなくなってしまった。
本当は、これが戦いのプロローグに過ぎなかったのである。