その後、結婚し仕事も私生活も充実してあまり気にかけないように日々を送ってきました。

ただ、首が痛く、我慢していたことは確かで、妻には、心配させないようしていたが、

ある日、結婚前に作っていた首のコルセットを押入れから見つけて、「なんでこんなもんしてるの?」

「隠していたの?」 ひどいことになるのかな・・・

しかし、家内もここで、妥協がでたのかもしれません。

その後新しい、家族もでき、長女、そして長男も加わり約5年間は幸せな日々であったに違いない。
                      (あまりに昔の話でよく覚えていない)

そんな、こんなで仕事で、突然、いやな事が発生、会議中に異常な発汗、ふらつきめまい、何とか友人抱

えられ、自宅にもどり、翌日神経内科を受診、頭部のCT(造影剤が合わなくて吐きながら検査)をとった

り心電図とったり、しかし結果は異常なし。

抗不安治療薬「ワイパックス」を処方

その後の何度か、同様なことが発生、完全に精神的な病に・・・・

ここから、病院オタクになってきた。

視覚がオカシイ、眼科受診。
             耳鳴りがする、耳鼻科受診。
                排尿がすっきりしない、前立腺が悪いかも(診断)、泌尿器受診。
  胃が痛い、内科受診。
もちろん整形外科も、脳外科も受診。 とにかく立て続けに、手当たりしだい。

最後に

残ったのが神経内科だけ、そこで大学病院の精神科を紹介され受診。

ここから、心療内科に約2年くらい継続、それでも頸部の痛みと吐き気が続く、

         「やはり変だ!」

そんな中で、車で通勤していてもなんとなく、右足がだるいのである、
ブレーキが瞬間踏みにくい。

日々の仕事に忙殺されているさなか、昭和63年9月のある朝、職場に母から親父が倒れ

救急車で搬送されたと連絡がはいった。なんでこんな時なんだ!!!!

病院に行き、父の顔を見たとき、「あ、これは駄目だ!、親父の人生は終わった命が助かっても」と思い、自分の体調の悪さと天秤にかけ客観的に、これは見きれんと判断した。
それでも家族で分担し、親父をみたが、一番最初に母が根をあげた、更に姉妹は長男の私の
責任追及がはじまる。「別居していないで両親の面倒を見ろ」


そんな中、12月のクリスマスイブの夜、外の寒い日仕事で、現場で50Cmほどのところから飛び降りた

瞬間、膝がくだけ転倒する、やたら右足がしびれる(寒い中を歩きすぎたせいか)。
    
   「でも、なんでだ?やはりどこかがおかしい」

霜が降りて寒い朝、放射冷却現象で氷点下である。

イメージ 1

昭和56年3月末の春スキー、スキーも上手くなり急斜面もそれなりに降りてこれた。

顔の雪焼け激しく、顔は真っ黒、半そででも汗をかくほど春のスキーは楽しい
疲れたら雪原に埋めてある缶ビールで喉を潤し、スキーをストックに引っ掛け
スキー板に寄りかかり青空眺めてビールを飲んで、またリフトへ

そんな時、緩斜面にもかかわらず、初心者が転んでいる。助けてやろうと手出すが
まったく、スキーではできない模様、自分の腰につかまらせ下までガイドした。
そこで、運悪く尻餅を着く、その時今までに感じたことの無い電流が尾骶骨から頭部に
走り、一瞬動けなくなった。

これが、エイリアン(アストロサイトーマ)を目覚めさせたのか?・・・わからない

それから、なぜか頸部が痛くなるようになった。

その春、転勤となり大型プロジェクトに従事するが、滅茶苦茶出張が多い。
寮には週に二三回程度寝に帰るだけ、夕食は遅くなり大抵はスナックでつまみを食べ

酒で流し込む。
次第に、首の痛みもしんどくなってきた。

会社の近くの整形外科専門病院へ行く、頚椎のヘルニアと診断、その日から頸部をホットパックし
牽引する。
2ヶ月してもほとんど改善は見られない。

それから、半年そのまま。アルコールでごまかし、寝る。

その後、首を固定するコルセットを作成し装着するが、改善は見られず

このあともほったらかす。これでよかったのか?

今振り返ると、ここで一回目、間違いをやってしまい、エイリアンを増殖させたのかも?