再手術を決心してから、胃潰瘍の完治に集中。
また、MRIをはじめ様々な検査を行い、そのひが来た。
DrYは、何とか歩かして退院させたいと願い、私もそれを期待していた。
そして、整形外科のスタッフ全員が手術室で待っていた。
整形外科の医長がにこやかに迎えてくれた。
まもなくして、麻酔科のDrにより漆黒の世界へ、もう任せた。
そして、いつかもわからない、夢か現実かも、わからない、親戚の顔や
姉妹の顔、家族の顔、が目の前を通り過ぎまた出てくる、夢か?
わからない、気持ちが悪い。
遠くで、家内の声、呼んでいる、電車が来た、乗らなくちゃ、出発する、なんか遊園地の電車みたい
でも、乗らないと行ってしまう。
また、家内が呼ぶ、電車に乗らずに上をみた。
家内の顔が前に、脇に姉ら顔、足元に、DrY、何かで足の辺りをひっぱている。
何も感じない、けどDrYは「動く!、歩けるよ!、大丈夫頑張れ!」
また不快になって、眠い、だるい、遠くで呼んでいるが、また寝てしまった。
深夜、目が覚めた、顔が痛い、鼻が痛い。
手は動く、家内を呼ぶ、いない、また呼ぶ、いた、すぐ下に。
湿ったガーゼで口の中を拭いてくれる。やっと声がでてきた、生きてる、俺まだ生きてる。
でも足が無い、尻もどこかに行った。
何とか生還したようだ、「7割以上とれたよ」「あっそうか、おれ手術してたんか」
腫瘍の除去をしていたんだ。
疲れた、また今度。
父が、67歳で倒れ、7年間の寝たきり生活にピリオドを打ってから、
今度は私の背中のエイリアン(アストロサイトーマ脊髄々内腫瘍)との戦いが本格化してきました。
誰もわからない、自分でも決断ができない再手術、主治医Dr、Y氏はその決断を私が決めることであると、何も提案しない日々がしばらく続く。
そして、神経の障害が内臓、ことに排尿、排便に出始めた。
ひどい、下痢と便秘、そして失禁、腹圧がかかるとパンツがズボンがしらぬまに濡れていた。
職場で、ズボンが黒く染みになる、トイレに行くも、間に合わない、あわてると尚のこと漏れてくる。
最悪である。女性用のナプキンをパンツにしのばせる。
もう限界がそこにある。
何度も、通勤途上で、路上で排尿を試みる、「ポタポタ」程度で、残尿感がひどい。
家族とでかける、路肩で傘をさして排便する。
もう、限界。
ゴールデンウィークも終わり、仕事もやっと行ったり休んだり。
6月のある朝、急な吐き気でベッド脇のゴミ箱を掴み取り、吐いた、錆び臭いと思ったが
ゴミ箱は真っ赤になった、吐血である。
そのまま、倒れ家族を呼ぶ。
吐血による貧血で動けない、救急車が呼ばれ、市民病院に搬送。
緊急に胃カメラで検査、大きな潰瘍からの出血。
「普通、わかるでしょう」、俺はわからない、エイリアンのせいで痛みが判らない、
そういえば、昨晩は数回排便し、下痢、真っ黒な便、すでに出血していたのだ。
原因は、ストレス、再手術を考えそれが、最終的に歩行を奪う結果になる、この決断が大きなストレスで大きな潰瘍を作ってしまった。
でも、これで再手術への決心がついた。
車椅子への抵抗はできなくなった。
車椅子こそ、乗らなくても良かったが、杖で歩行補助をやりながら
杖なしで何とか歩行できないものかと試すが、どうしても
右足がうまく上がらない、つまずく。

DrYは5から6年で再手術を示唆していたが、今になってみれば、その頃が一大決心をすべきであったのかも、

しかし、それを決断するには障害が多すぎた。
一人暮らし母のこと入院特老にいる父のこと、幼い子供らの将来のこと。

私を「詐欺師」と呼ぶ妻のこと。

それ以来、家族は川岸の対岸を川下に向かいながら常に川の流れを境に歩き出した。

私は独りで、この病との葛藤で苦しみながら、痛みと痺れが強くなる不安と、

下肢の皮膚感覚や麻痺が進む恐怖のストレスと向き合い、母や姉らから長男としての責務を果たさないこ

とを罵倒されながら、ただひたすら我慢して、常に「己が命」を天秤にかけ、最低限のことをやってきた。

5年後ここで、また腎結石による血尿で再入院、左右の腎結石、正月を挟み2週間ほど入院その間腎結石

よりも本来の病のほうが辛く、入院していてもその痛みとしびれで悶々と入院していた。

結石も、衝撃波による治療で破砕され退院、その後何度もこの結石で入退院をくりかえすが、

それよりも入院するたび、家に戻るとまた居場所がなくなってきている。

更に川幅の広い対岸に家族はいる。

橋があっても、こちらには来ない、私が動かないときは対岸から長い棒でつつく。動くとまた歩き出す。

精神的にはこんなであった。

その間も、背骨のエイリアンは、増殖し神経を蝕むことを続けていました。

そして、ついに父があっけなく、でも脳内出血で倒れてから7年目で肺炎を起こし6月に亡くなった。

この間もそしてこれからも「詐欺師」と呼ばれ、子供の前でも「詐欺師」と言われ「償え!!!」

と無言の圧力、とにかくくたばるまで。

辛かった、子供の前で「詐欺師!!」と言われた、あの日。

「同情心」は希薄な家族であった、この病の辛さもほとんど理解されず、苦しみを辛さを口にしても

私の甘えで、聞きながされ、今もそのまま、私の病は進行しているのに。

「あんたは、入院したり通院したり先生の顔をみると元気になる!」なんて事を平気で言う。

心がつらい。

この奇病と独りで、闘病していくには折れてしまいそうだ、自暴自棄。


心が病んで行く・・・・・・・・・・・


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