そんなこんなで恐怖の夜が来た、

ここにきて最初の夜、

案の定、右向かいの五十歳代のおじさんの大鼾が始まった、

まだ時間は午後8時を過ぎたばかり、とても寝られたものではない、

たまらずテレビを見たり、ラジオを聞いたりしてしのぐが、

時計の針は遅々として進まない、右からも前からも「ガー、ゴー」の動物の音、

しまいには、左向かいの爺さん寝言である、

これも昔取ったきねづかで剣道七段の腕前が寝言に変わる「ヤー、メーン」と、

しまいに動く方の左手がベッド柵を思い切り叩く、「ガシャーン」と柵が落ちる。

さすがに、大鼾の皆様も目が覚めて、「アー、ウーウー」と訳の分からぬ声を発し、

「やかましくて眠れない」と訴えている模様。

マンディももちろん眠れない、しかたなくナースコールを押す。

看護師が飛んでくる、「なんとかしてよ」と会話の成立するマンディが現場の状況を報告する。

看護師が柵を紐で縛りはずれないように処置をする。

更に大鼾体制に入った、右向かいのおじさんの首を無理矢理横に向けて鼾の防止対策をして出て行く。


こんな夜が続くのかと、マンディは本気で嫌になり抜け出し出て行きたい心境である。

ふっと、耳を澄ますと、「シュー、シュー」と規則的な、変な音が聞こえる。気にせず無理矢理寝ようと

する。
入院している方は家族との時間を楽しみに待っているのに、

脳梗塞という特有の病魔の為会話にならない、

言語機能を無くし「あー」とか「うん」とかの繰り返し、

こんなんで本当に社会復帰いや、家庭復帰など出来ると家族は信じているのであろうか、

信じているものなどいない。

ただここに置いてもらいたいだけ、現実逃避なのである、

目の前にある、排泄の世話や食事の世話は何とか避けたい。

1日でも遅くと思い家族は願っている。


しかし、現代の医療はむごい、七十歳を過ぎた老人には容赦なく、

三ヶ月が近くなると退院か転院の話が主治医、ケースワーカーなどから出てくる。

患者側は防御に必死である。

「まだ治っていないのに退院させるんですか?」と食い下がる、

マンディは思わず「なおらねってば!さっさと連れて帰れよ、

うまいもん食わして家で見てやれよ!」と心の中で叫ぶ。

それでも家族は「リハビリをもっとやれば歩けるから」とか

「家の改造に時間がかかるとか」なにかと理由を考えて看護師に頼む。

看護師は「そうですねー」なんて

相づちを打ちながら、そんな言葉は右の耳から、左の耳を通過させている。

そんな会話をマンディは、毎日のように聞くはめになる。
悶々と時間が過ぎ、

しだいに、窓の外は、5階にいた頃と違い日没も早く、いち早く電気がつけられる、

外の帳も下りてきた、寂しい時間が訪れた。窓ガラス越しに、

頭のスイッチの壊れた同室の皆さんの顔を映している。

夕食の時間も近くなり、配膳される。病院食は味が薄くいくら食べてもなれない、

ついつい持参したふりかけをかけたり、梅干の瓶に手が伸びる。

病室の壁には下のほうがテープがはげて貼られている

「病院食以外は患者さんに食べさせないでください。
       食べさせるときは看護師に相談してください。」
 
 なんて経年で破れかけた注意書きが。
 誰も見やしないだろうに、「おれらは高崎山のサルか、動物園のライオンか?」とマンディは感じて、

そう、ここは動物園、人間動物園なのかもしれない。

実際今夜から始まるのである。

それでも正面の爺さんは食事の時間になると上腿が起き上がる、

さっきまで大いびきのおじさんもベッドが起きる。

      みんな自分で食事する。

患者同士の会話はしない、会話が成立しないのである。

脳梗塞患者が大半のため、言葉の神経がだめになり、黙々とスプーンを口に運ぶ、

こぼれていても関係ない。

箸を使い食べているのはマンディくらいなものである。

これが生きている唯一の楽しみのごとき時間である。

そして食べ終わったら、一刻も早くベッドを倒して眠りたいらしい。

機械的に看護師が薬を配り飲み込むまでを確認する、

そして歯磨きと洗面用のタオルを配る。

顔を拭くまでは良いがその後がいけない、そのタオルを寝たまま、顔にかけてまるで「ご臨終」である。

いずれ訪れる、おのが姿だけは判っているのか、マンディも思わず苦笑いする。

そんな時間も終わり、ちらほらと家の人が着替えやらを持参し、面会にくる。

午後八時までの時間である。

半分はこない、長期入院者が多いせいか、毎日くることは家族の負担である。

来たとしてもその大半は患者との会話をするつもりは全く無く、

同じ境遇である家族同士の愚痴と同じ境遇を哀れみ傷の舐め合いに終始して終わることが多いようだ。