平成9年7月17日に手術をして、月末までそこで過ごす。

その間、腰から首までのコルセットを何度かはめる

その様は、西洋の騎士の防具のような形をしていたが、

ねたままかたどりしたので、起きてきるには

きつい、会わない。

それでもはめろ!と言う主治医。

苦痛なことばかり、月末になって、ベッド毎

1Fへ移動した、そこは、最悪な最終病棟(スクラップ病棟)

そのものであった。

感想は、「60cmの目線から」で記述した。
マンディはやっぱり自分の世界とは違うんだと思い、

日増しにきつくなるリハビリに集中する。

それでも頭がやられてないからなんとか車椅子を乗りまわし、

社会復帰してもたぶん役に立たない歩行訓練に汗を流し、上肢の筋力トレーニングをやり、

ここでは優等生である。社会復帰可能な第一候補である。

1日でも早くここから出たい。

3ヶ月毎に交代する壊れた人間はもう見たくない。

リハビリで歩行練習の脇を82歳のばあちゃんが83歳の爺さんの車椅子に掴まりながら、

リハビリ室に行く、どっちが患者か区別するのも難しい。

どちらも危ない、

夕刻その子供ら二人が娯楽室で、また醜い言い争い、

結論は爺さんに受ける必要も無い白内障の手術を受けさせ、少しでもここに置かせてもらう事になったよ

うだ。

マンディは、また醜いものを見てしまった。

何も言えないばあさんが隣の椅子に小さい体を更に小さくししょぼんと、

皺だらけの手を握り座っていた。

親子ってなんだろうか、家族って何だろうか、

老いた夫婦の幸せってなんだろう、

マンディにもわからない。

ただ、みんな自分勝手なだけじゃないか。

人間って醜い生き物なんだ。スクラップになってやっとわかった気分である。

今元気な人間もスクラップになると気がつく。

それにしてもこんな親子関係になったのは何でだろう、核家族化のせいか、教育なのか。

今後も、今も同じ境遇の心の逃げ場所探しが続く。
いつの間にやら、寝不足の夜が明ける。

朝6時、部屋の電気が点けられる。

洗面の道具が配られようが彼らの鼾は止まらない、

「やっぱり壊れてしまったんだなぁ」歯磨きをしながらつくづく思う。

そして、朝食の配膳、途端に起上がる。

マンディは一応社交辞令の「おはようございます」と声をかける。

思わず、返事が返ってきた。

「あーあー」と言う。アクセントで「おはよう」とわかる。

どうしてこの一瞬だけは、コードの線が繋がるんだ。

また、サウスポーのスプーンで朝食が制限時間でも有るように我先に始まる。

終わると、またすぐにベッド倒してもらい寝る。

今度はきつい時間、排便である。

車椅子で行く人、ベッド上でおまるでする人、一斉に始まる。

朝食の匂いと、糞の臭いこれがこの病棟の匂いなのである。

そして、各自のスケジュールにそってリハビリ室へ出かけて行く。

マンディは混雑を避け昼休みに車椅子で排便に行く、途中にある部屋をみる。

そこから深夜に聞こえていた「シューシュー」の音が聞こえる。

4人部屋の4人が同じ状態に見える。

人工呼吸器をつけて生かされている音である。

自分で生死を選択できない彼ら、目の動きでだけで「エリーゼの為に」(ナースコール)が鳴る。

益々、ここは人間スクラップ病棟なのかも。

家族は4人の脇で365日寝泊まりしている。

本当に生きていたいのか、マンディには聞けない。

でも行き付く先は、決まっているのは誰もがわかる。口には出せない。

看取ってやりたいだけなのか、それにしても長すぎないか。

数年間も同じ状態の人も居る、

付添いのおじさんはここが家だという。