本日(7月20日)の朝日新聞朝刊の「文化」欄に「仮題『東京物語』 取り消して『長屋紳士録』に?」と題する記事が掲載されている。記事によると「小津安二郎監督が戦後第1作として発表した『長屋紳士録』(1947年)のタイトルは、当初『東京物語』となる可能性があったことがわかった」とのことである。横浜市在住の人物が所有している『長屋紳士録』の準備段階と見られる脚本(ガリ版刷りのわら半紙をひもでとじたもの)の表紙を見ると「假題 東京物語」と書かれているが、その文字が取り消し線で消されており、後に加えられたとみられる「長屋紳士録」の文字が確認できるとのことである。
私は『長屋紳士録』を観ていないのでどのような内容の作品なのかは分からないが、『長屋紳士録』と『東京物語』では、タイトルから受ける印象がずいぶん異なるように思われる。さらに、もし『長屋紳士録』が『東京物語』というタイトルで公開されていたら1953年に公開された名作『東京物語』はどのようなタイトルになっていたのだろうか?実を言うと私はこの映画のタイトルが『東京物語』であるということに若干の違和感があったのだが、だからといって『上京物語』というのも違うように思われるし、『上京顛末記』はあまりにもダサい。このようなことを考えると、やはり『東京物語』が一番フィットしているのだろうという気にはなってくる。ひょっとしたら小津監督は『長屋紳士録』でボツにした『東京物語』というタイトルにこだわりがあって、それに相応しい物語を書いたのかもしれない。それとも脚本を書いている途中で「そうだ、あのときボツにしたタイトルがこの物語に相応しいではないか」と閃いたのだろうか?
ところで、最近観たNetflix制作の韓国ドラマ『誰だって無価値な自分と闘っている』はこのタイトルを見ただけで鑑賞したいという気になった作品で、内容も「生きていく上での価値って何なのだろう?」ということを問いかけているタイトル通りのドラマでとてもいい作品だった。
