朱雀門 

 

 今月の初めから所用で関西に滞在。用事は2日ほどで終わったのだが、久しぶりの関西なので10日間ほど滞在した。阪神競馬場に行ったり、京セラドームでオリックスのオープン戦を観たりとぶらぶら一人遊びを楽しんでいたのだが、せっかくの関西なので急に「平城京に行こう!」と思い立ち、宿泊先の最寄り駅である阪神甲子園駅から(表現がちょっとややこしいが)近鉄奈良線に乗って約1時間、大和西大寺駅に到着。大和西大寺駅と言えば、その北口付近の路上で2022年に安倍晋三銃撃事件があったことが思い出される。その現場を通ってひたすら平城京跡を目指して歩き出す。スマホで検索したら徒歩で約20分とのことであったが、北口から出発したからなのか、スマホのナビに問題があるのか、私のナビの見方がよくないのか、原因は不明だが歩けども歩けども目的地には着かず。結局かなり遠回りをしたようで40分ほど歩いてやっと朱雀門の北側にたどり着く。この門は平城宮の正門らしくそこから北が平城宮で中央朝堂院、大極門、第一次大極殿と続くようなのだが、あまりに広すぎて肉眼では何も見えない。見えるのは近鉄奈良線の線路だけでその踏切を越えて行かなければならないようである。ふと下を見ると、「踏切は8:00~17:00の間しか通れない」との注意書きが…。

 とりあえず、朱雀門の南側に回ってみると、門から南に向かって広い通りが伸びている。朱雀大路である。その左手に「平城宮いざない館」という建物があって中に入ってみると平城宮の説明をした写真や当時の平城宮を復元した模型などが置いてあって、なかなか興味深い。壁に飾ってある写真を見ていると館の関係者と思しき男性が近寄ってきて写真の説明などをしてくれた。とても丁寧に説明される方で平城京についていろいろな知識を得ることができたのは大変ありがたかった。その後、「平城宮いざない館」の休憩室でアイスクリームを食べながら少し休憩して、さて平城宮を見に行こうかと思った矢先、なんとなく持病の股関節痛が始まるような徴候が出てきて焦ったものの無理をするのはよくないと言い聞かせて平城宮見学を断念。朱雀大路を南に歩いてバス停まで行き帰路につく。結局、朱雀門を見ただけのなんとも情けないことになってしまったのだが、この辺りには少し足を伸ばすと東大寺や興福寺などもあるので、いずれ駅前のホテルに泊まってゆっくりと散策したいと思った次第である。

 

 一年ほど前から日本史関係の書籍を少し読み始めている。私の場合、現代に直結する部分も多い明治以降の歴史については以前から関係する書物などを読んだりもしているのだが、それまでの歴史については大学受験で日本史の勉強をして以来あまり進歩しておらず、自分の国の歴史についてはある程度知っておく必要があると感じたことがその理由である。その中でも古代史はとても興味深く特に8世紀の前半は大宝律令の完成、平城京造営、記紀の編纂などこの国のその後の在り方が形作られていった時代であり、特に興味を引かれるところがある。

 

「あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫るがごとく 今盛りなり」

 「万葉集」に収められたこの歌を見るかぎり、とてものどかな時代が思い浮かぶが、一方では平城京造営が農民に多大の労役負担を課すことになり、課役を逃れるために逃亡する農民も続出したし、「長屋王の変」のように皇位継承を巡る陰謀・策略、天然痘の流行、干ばつによる飢餓、大地震などの天変地異による大禍などもあった時代である。当時の人口は400万~500万であったが、天然痘ではそのうちおよそ100万人の人たちが亡くなったと言われている。もちろん、このようなことはいつの時代にもあるのだが、この時代の人たちがそのような事態にどのように対処したのかといったこと、特に5年にわたり謎の彷徨をした聖武天皇がどのような意識を持っていたのかということにも興味深いものがある。