2025年8月23日付け朝日新聞朝刊の読書欄を読んでいたら「売れている本」のコーナーで著述家の読書猿という人が竹内洋『教養主義の没落』を紹介していた。この本に関しては私は以前このブログで書評を書いたことがあったので、興味を引かれて「呪縛消えた後の知の欲求回帰」と題されたその新聞記事を読んでみた。
現在この本が売れている大きな原因の一つはシンガー・ソングライターの米津玄師が「べらぼうに面白かった」という賛辞を送ったことによるようであるが、先日このブログで取り上げた本田圭佑のデヴィッド・グレーバー『負債論』への賛辞を見てもわかるように著名人の影響力の大きさを感じるところである。
もちろん、20年以上前に刊行された『教養主義の没落』が売れている原因はそれだけではなく、読書猿によれば「著者は、教養主義の死によって、むしろ本来の「教養」が息を吹き返したのではないかと示唆する」とのことである。たしかに、かつて「教養」と言えば他者に対して知識によるマウントを取るための手段として機能している面があったように思われる。竹内洋の言葉を借りると「象徴的暴力」装置として機能していたということである。竹内洋のこの本によれば、そのような教養主義が没落したのは1970年代ということになるが、私自身が大学生であったのは1970年前後で、その意味では私などは「教養主義の最後の世代」ということになるのだろうが、たしかに、授業にも出ないで雀荘に入り浸っていた私のような学生でもマルクスや吉本隆明ぐらいは読まなくちゃという意識はあったようには思う。(まあ、あまり読まなかったが。苦笑)
読書猿は「情報がアルゴリズムによって選別される現代にあって、自分の立ち位置や苦悩の原因を知りたいという根源的な知への欲求は、かつてなく切実だ。教養主義という亡霊が去った今、「知りたい」への回帰は、知のあり方が揺らぐ現代を映す鏡であり、また微かな希望でもある」と述べて記事を結んでいるが、「教養主義」ではなく「教養」を求める若い人たちが増えているとすれば、それはたしかに微かな希望なのかもしれない。