「伝え方は上手いが,伝えたいメッセージがチープ」と言ってよい作品と,「伝え方はチープだが,伝えたいメッセージはよく分かる」と言ってよい作品のどちらが好みかと言えば,私は後者だ。安直なテーマを持って回った伝え方によって粉飾されている作品より,私は伝え方が少々拙くても,「これが私の言いたいことだ」と主張している作品の方に制作者の本気度を感じてしまうのだ。今回は(私の基準で)その2つの作品を紹介したい。もちろん,私の独断によるものなので,映画を観る人によって評価は分かれるのは承知の上である。
1. ミセス・ノイズィ(2020年 日本)
監督:天野千尋
キャスト
篠原ゆき子(吉岡真紀)
大高洋子(若田美和子)
長尾卓磨(吉岡裕一)
新津ちせ(吉岡菜子)
宮崎太一(若田茂夫)
「フィガロの告白」の天野千尋が監督・脚本を手がけ,隣人同士の些細な対立が大事件へと発展していく様子を描いたサスペンスドラマ。小説家で母親でもある吉岡真紀は,スランプに悩まされていた。ある日,突如として隣の住人・若田美和子による嫌がらせが始まる。それは日を追うごとに激しさを増し,心の平穏を奪われた真紀は家族との関係もギクシャクしていく。真紀は美和子を小説のネタにすることで反撃に出るが,その行動は予想外の事態を巻き起こし,2人の争いはマスコミやネット社会を巻き込む大騒動へと発展していく。主人公の小説家・真紀を「共喰い」の篠原ゆき子,隣人の美和子を「どうしようもない恋の唄」の大高洋子,真紀の娘を「駅までの道をおしえて」の新津ちせがそれぞれ演じる。2019年・第32回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門出品。(「映画.com」より)
とても分かりやすい展開の映画ではあるが,たいへん難しいメッセージを提起している作品である。私たちは普通SNSを含むいわゆるメディアを通じて世の中で起こっている出来事を知るのだが,メディアが伝える情報が大なり小なりのバイアスを含んでいるということをついつい忘れてしまい,単純な善悪の二分法で事態を判断してしまいがちである。この姿勢が極端な形で表れたものがSNSにおける「炎上」ということなのだろうが,この映画が問いかけているのは,何事においても性急な答えを求めすぎる私たちの姿勢である。
では,ある報道に対して私たちはどのように接すればよいのだろうか?答えはそれほど簡単ではないし,この映画がそれに対する答を与えてくれているわけでもない。しかし,天野監督は,10数年前に連日ワイドショーを賑わせた「騒音おばさん」の事件をベースに,それについての映像作家としての解釈を加えたフィクションを作ることによって,私たちの常識的な判断に潜む危険性をあぶり出したことは確かであり,そこにこの作品の卓越性があると思われるのである。ただ,描き方にもう少し工夫があってもよかったのではないだろうか。その点がやや惜しまれる作品である。
2. 幼い依頼人(2019年 韓国)
監督:チャン・ギュソン
キャスト
イ・ドンフィ(ジョンヨプ)
ユソン(ジスク)
チェ・ミョンビン(ダビン)
イ・ジュウォン(ミンジュン)
2013年に韓国で実際に起こった漆谷(チルゴク)継母児童虐待死亡事件をもとに,7歳の弟を殺したという驚くべき告白をした10歳の少女に心を動かされた弁護士が,真実を明らかにするため奔走する姿を描いた実録サスペンスドラマ。ロースクールを卒業し,法律事務所に就職する前に児童福祉館で臨時で働いていたジョンヨプは,継母から虐待を受けているダビンとミンジュンの姉弟に出会う。当初は深刻に受け止めていなかったジョンヨプだったが,弟ミンジュンが死亡する事件が発生し,姉のダビンがその殺人の被疑者とされたことに何かが間違っていると感じ,ダビンの弁護を引き受けることを決意する。主人公の弁護士ジョンヨプ役を「エクストリーム・ジョブ」のイ・ドンフィが熱演。(「映画.com」より)
制作者が意図していることと,私がこのタイプの作品に求めていることとが違うのだろう。描かれている内容は2つだ。一つは社会的に問題となっている児童虐待のひどさである。もう一つは,法律事務所に就職する前に臨時で働いていた児童福祉館で関わった幼い姉弟を結果的に裏切ることになった心優しい弁護士が,その後,その姉弟が継母から虐待を受け,弟のほうが亡くなったというニュースを目にすることによって正義に目覚め,奮闘する姿である。この作品を観た観客の多くは虐待された子供たちと,彼らのために立ち上がった弁護士に共鳴するだろうし,私もそのような観客の一人ではある。そして,この酷い母親は裁判で裁かれることになり,観客はある種のカタルシスを感じる構成にはなっている。いわゆる「泣ける映画」なのだ。しかし,私にはこの作品には映画として決定的に足りないものがあるように思われるのだ。それは虐待を繰り返す継母の内面であり,それがほとんど描かれていないことである。チャン・ギュソン監督が制作したかったのは「泣ける映画」なのか,あるいは冷酷非道な女性の内面を描くための想像力が欠如していたのか,それは分からないが,私には物足りない映画ではあった。
