今回のAは以下の文です。

 

 なにげなくこの本を読みにかかり,正午から午後,午後から黄昏,トイレに行くのも惜しく,お茶もおちおち飲めず,一気通貫で読んでしまった。これほどの傑作がフルイにかからないなんて,世の中どうかしている。

 その構築ぶりの遠大,精妙,技巧の卓抜,巧緻。読んで脱帽した。とうとう国産でもこれくらいの作品ができるようになったかと,感銘が深い。

 私が,もし直木賞の選考委員なら,一も二もなくコレしかないと力説する。諸君,今からでも遅くない。ご一読あれ。

 どんな砂漠でも,どこかに水の湧く場所はあるものだとこれを読んで感じ入らせられる。

 

 

 少々長い引用になってしまったが,今回の引用は檜山良昭著『スターリン暗殺計画』(徳間書店)の帯に書かれている開高健による推薦文である。元々は朝日新聞の「日記から」に掲載された文章であるらしい。本の奥付を見ると「昭和53年10月10日 第1刷」となっている。なんと,約43年前に発行された本で,これほどまで絶賛されると檜山良昭も著者冥利に尽きるのではないだろうか。

 さて,今回なぜ開高健の推薦文を引用したかというと,実は私も当時読んだ覚えがあり,最近,たまたま書棚の片隅に置いてあったのを手にとってみたところ上の推薦文が目に留まったからである。当時読んだときには開高健ほどではないとしても,ワクワクしながら読んだ覚えがあるのだが,(幸いなことに?)細部をほとんど忘れていたので再読してみようという気になったのである。話の内容をひと言で言うと,昭和14年の日本陸軍によるスターリン暗殺計画とその挫折を描いているのだが,歴史的事実から題材をとったミステリーなのである。したがって,著者が言うように,「真実と虚構が渾然一体」となっており,「スターリン暗殺計画という基本的枠組みは真実であるけれども,部分的に虚構化が加えられている」のである。しかも,どこが真実でどこが虚構なのかが読者には分からないというところもまたミステリーなのだ。

 著者はおびただしい文献,資料を読み,その一部を引用するとともに,当時の関係者たちへのインタビューから得られる証言によってストーリーを組み立てていくという独特な展開形式を採用しており,これは一見地味な方法ではあるが,この形式こそがこの作品を魅力的なものにしているのである。

 ソ連の内務人民委員部の極東地区長官であったゲンリッヒ・サモイロヴィッチ・リュシコフが昭和13年6月13日の早朝満州国に亡命する事件から始まり,2度のスターリン暗殺計画を挫折に導いた人物が誰であったかの推測に終わる息もつかせぬ展開は,開高健ではないが,「ご一読あれ」と言いたくなる作品である。

 

* この作品はその後文庫化もされたが,現在では絶版になっているようだ。ただ,電子復刻版で読むことはできるようである。