監督:スタンリー・キューブリック
キャスト:ケア・デュリア(デビッド・ボーマン)
ゲイリー・ロックウッド (フランク・プール)
ウィリアム・シルベスター(ヘイウッド・R・フロイド)
ほぼ半世紀前に制作されたSF映画。原題は “2001:A Space Odyssey”。英和辞典によるとOdysseyとは,「波乱に富んだ苦難の旅」とか「知的探求の旅」といった意味だ。
よく「映画は総合芸術」と言われるが,それは,映像は言うまでもなく,ストーリー,演技,音楽など,さまざまな要素が絡む芸術であるからだ。この映画に関して言えば,ビジュアルの点では,CGの技術がまだ存在しなかったか,非常に不十分であった時代に作られたとは思えない出来で,今でも十分に通用する素晴らしさだ。また,音楽も非常に効果的に使われており,その点でもレベルの高さがうかがわれる作品である。では,提示されているメッセージはどうなのか。
冒頭。音楽だけが聞こえてきて,真っ暗な画面が延々と続き(実に3分近くも!),やがて,MGMのロゴに続き,次のようなシーンとともに“2001:A Space Odyssey”というタイトルが現れる。
そして,「人類の夜明け」というクレジットが…。この虚仮威しにも近い最初の真っ暗な画面は,人類が現れる以前のこの星の象徴なのだと私は勝手に解釈したのだが…。「人類の夜明け」…。約400万年前,猿たちが生活しているシーンが延々と描かれるのだが,ある時,見たこともない石板のような四角い謎の物体(モノリス)が地面に突き刺さっている。猿たちは恐る恐るその石板に近づき,やがてその石板に触り始める。やがて,猿たちは,死んだ動物の骨を道具として使い始め,道具を使うようになった猿たちはそれを武器として他の猿の集団と争うようになり,争っている猿が骨を空中に投げると,それが軍事衛星に変わるのである。
猿の子孫である人類は今や月にも住むようになっているのだが,近年,月面のクラビウス基地に約400万年前に埋められたモノリスが発見される。モノリスは木星に向かって強い電磁波を放出しており,科学者たちは木星に地球外生物が存在するのではないかと考える。それから18カ月後,宇宙船ディスカバリー号が木星探査に出発する。乗っているのは5人の人間とHAL9000型コンピュータで,5人のうち3人は木星に近づくまでは冬眠状態になっている。HALは人間の言葉を話し,人間とコミュニケーションをとることができ,また人間の感情をも持っている。やがて,ディスカバリー号の中で,HALと人間との間で争いが起こり,結局,ボーマン船長だけが生き残り,彼は一人で木星にたどり着き,映画はジ・エンドに向かっていく。
壮大な音楽に乗せて表れる美しい映像の連続は観客の視覚,聴覚を十二分に満足させてくれるものであり,総合芸術としての映画の真骨頂が存分に発揮されている作品と言えるであろう。もっとも,この映画が伝えようとしているメッセージを十分に理解するには少々難解な作品であり,観客それぞれの世界観によって評価が分かれる作品でもある。私としては,とりあえず次のような解釈をしてみたが,まったく見当外れな解釈かもしれない。
結論から言うと,この映画は文明の崩壊・再生を扱った作品として観るべきだということだ。その中心になっているのは,言うまでもなく「モノリス」の存在である。この映画にモノリスが最初に登場するのは,約400万年前のことである。私たちの祖先であるサルが地上で生活していたある日,四角い石版が土に突き刺さっているのを発見する。そして,恐る恐るその未知の石版に触れたサルたちは死んだ動物の骨を道具として使うことを覚え,やがて,その道具を武器として使用するようになる。文明の始まりであり,ホモ・ファーベルの誕生である。
そもそも人間が他の動物と区別されるのは,人間が自然の生態系からはみ出た存在であるからだ。たとえば,野原に一輪の花が咲いていて,その花には毒があるとしよう。人間以外の動物はその花に対して,それを避けるという一元的な反応を示す。それが自然の生態系というものだ。では,人間の場合はどうか。もちろん,人間も自然の生態系の中に存在している以上,その花を避けるという反応を示すが,同時に私たちはその花を美しいと感じるのである。この美しいと感じることこそが,人間が自然の生態系からはみ出ている証拠なのだが,それは,私たちの脳が自然の生態系からはみ出ているからに他ならない。そして,そのはみ出た脳が生み出すモノを,私たちは文化とか,文明と呼んでいるのである。では,なぜ人間はそのような存在になったのか。それはおそらく永遠の謎だろう。しかし,キューブリックはそれに答えて言う。「サルたちがモノリスに触れたからだ」と。
モノリスに触れたことによって文明を生み出した人類は,それから400万年後の21世紀には驚くべき進化を遂げている。人類は今や地球だけではなく,月にも居住基地を作り,人工衛星を飛ばし,人間の言葉を話すだけではなく,人間の感情をも持っているコンピュータHALを作りだしたのである。しかし,この発達した文明を生み出した21世紀の人類の前に再びモノリスが現れるのである。なぜか?人類は確かに非常に高度な文明を生み出したのであるが,自然の生態系のあり方からはみ出した人間の脳は,もはやそれを適切に処理することができなくなっているからである。HALの反乱はまさにそれを象徴しているのだ。人類は,自分たちが生み出した文明によって滅びる前に再びモノリスに触れることによって新たな文明に移行しなければならないのである。2001年の木星への旅とは,人類の新たな文明にたどり着くための旅なのである。ディスカバリー号の中で一人になったボーマン船長が木星にたどり着くまでのカオスのような長いシーンは,それがいかに苦難に満ちたものであるかを物語っているのだ。
木星にたどり着いたボーマンは無機質な部屋をのぞき込む。その後のシーンは象徴的だ。一人の男が背中を向けて食事をとっている。やがて彼はゆっくりと振り向いてボーマン船長に近づいてくるが,それは中年になったボーマン船長の姿なのだ。彼は無言のままきびすを返し,再び食事をとるが,彼の横には大きなベッドが置かれている。食事の途中,彼はテーブルの上のワイングラスを落とす。割れたワイングラスを拾おうとして彼は横に置かれているベッドを見る。そこには,年老いたボーマン船長が横たわっている。彼はほとんど臨終を迎えそうな様子である。この一連の流れこそ人類の文明史なのだ。食事をとっているボーマン船長は人類の文明の発達の象徴であり,割れたワイングラスは人類がその文明を処理できなくなったことを表し,臨終を迎えているボーマン船長は人類の文明の終焉を象徴しているのだ。臨終を迎えたボーマン船長はモノリスを指さす。もはやベッドにはボーマン船長の姿はなく,それに代わって新しい胎児がベッドの上で胚胎している。その胎児は大きくなり,ラスト,地球を表しているかのような丸い星の中でやがて生まれようとしている。21世紀,人類は再度モノリスに触れることによって新たに生まれ変わり,新たな文明の段階に入ったのである。それは限界に達した人類の文明社会を救うものなのか,それとも,さらなる破滅に向かう新人類の誕生なのか…。
この映画は1968年に制作された作品である。タイトルにある「2001年」から考えて,キューブリックは21世紀の文明論としてこの映画を制作したのだろうと思われるが,当時,核兵器の存在は人類にとっての文明の脅威ではあったが,原発の安全神話を疑う人はそれほど多くはなかったし,地球環境問題に関しても,1972年にローマクラブが「成長の限界」を発表はしたものの,それほど多くの人たちの関心を集めることもなかったように思われる。キューブリックがこれらの問題を意識していたのかどうかは私には分からないが,近代の文明の進歩を手放しで礼賛していたわけではないことは自明であり,特に,私には人間の感情を持ったHALの反乱は興味深いものがあった。これは,最近しきりに言われているAIにおけるシンギュラリティーの問題ではないか。私は素人なので詳しいことは分からないが,シンギュラリティーが到来することはおそらくないだろうと思っている。しかし,もしそんなことが起こったら,おそらくこの映画で描かれているように,人類が破滅し文明の転換が生じるだろうという程度のことは容易に想像できる。それを考えると,この映画はとんでもなく恐ろしいホラー映画なのである。
(この記事は以前Yahoo!ブログに掲載したレビューに大幅な加筆・修正を施したものです。)



