監督:スパイク・リー

キャスト

 ジョン・デビッド・ワシントン(ロン・ストールワース)

アダム・ドライバー(フリップ・ジマーマン)

ローラ・ハリアー(パトリス・デュマス)

トファー・グレイス(デビッド・デューク)

ヤスペル・ペーコネン(フェリックス)

 

 黒人刑事が白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」潜入捜査した実話をつづったノンフィクション小説を,「マルコムX」のスパイク・リー監督が映画化。1979年,コロラド州コロラドスプリングスの警察署で,初の黒人刑事として採用されたロン・ストールワース。署内の白人刑事たちから冷遇されながらも捜査に燃えるロンは,新聞広告に掲載されていたKKKのメンバー募集に勢いで電話をかけ,黒人差別発言を繰り返して入団の面接にまで漕ぎ着けてしまう。しかし黒人であるロンはKKKと対面できないため,同僚の白人刑事フリップに協力してもらうことに。電話はロン,対面はフリップが担当して2人で1人の人物を演じながら,KKKの潜入捜査を進めていくが…。主人公ロンを名優デンゼル・ワシントンの実子ジョン・デビッド・ワシントン,相棒フリップを「スター・ウォーズ」シリーズのアダム・ドライバーが演じる。第71回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。第91回アカデミー賞では作品,監督など6部門にノミネートされ,脚色賞を受賞した。(「映画.com」より転載)

 

 この作品は今年の4月の公開時に劇場で観て,ごく簡単なコメントを書いたことがあるのだが,もう一度ゆっくり観たいと思っていた。やっとDVDレンタルが開始されたので,早速借りてきた次第である。

 

 冒頭から『風と共に去りぬ』のワンシーンが映し出され,それに続いてアレック・ボールドウィンが極右の人種差別主義者のボーリーガード博士の役名で登場し,DW・グリフィスの『國民の創生』のシーンなどを背景に黒人とユダヤ人を攻撃する演説をぶつ。「人種統合と人種混交の蔓延する時代に我々は生きているのです。」この人種差別主義的言辞を弄する人物を最初に出すことによって,差別主義者に対して一歩も引かないというスパイク・リーの尖った想いがビシビシ伝わってくる。ゴングとともにいきなり相手に向かっていってボディーブローを打ち込むボクサーのようだ。 

 しかし,映画の展開は一筋縄ではいかない。『グリーンブック』がアカデミー賞作品賞を授賞したことに対してスパイク・リーが激怒したというエピソードも伝わってきていることもあって,さぞかし差別問題をストレートに訴えかけてくるかなり硬派な映画だろうと身構えていたのだが,いい意味で予想を裏切られた。もちろん,アメリカにおける人種差別問題を正面から扱った映画であることに変わりはないのだが,ひと言で言うと,スパイク・リーの遊び心が存分に発揮された作品なのだ。そもそも,新聞広告に出ていたKKKのメンバー募集に応募して,警察官が潜入捜査をするという設定からして,ちょっと笑ってしまったのだが,映画を観る限り,正式な手続きを踏んでいないようにも思えるのだ。しかし,そんなことは二の次であって,この社会派映画をサスペンスタッチで見せようというスパイク・リーの意図と才能に唸ってしまった。しかも,映画の展開はサスペンスであるとともに,またコメディーでもあり,ドキュメンタリーでもあるのだ。要するに,スパイク・リーの覚悟と才能が存分に発揮された作品であり,主張は劇薬であるが,いわば「オブラートに包んだ劇薬」に仕上がっているのだ。緩急自在とはこのことを言うのだろう。

 

 映画の時代背景は1970年代で,実話に基づく映画なのだが,上にも書いたように,スパイク・リーの遊び心がうかがえる映画で,虚実取り混ぜた作品といったところだ。黒人刑事のロンとユダヤ人で白人刑事のフリップが共同作業でKKKへの潜入捜査を行うというのが物語の本筋である。実際に潜入するのはフリップで,ロンは電話でKKKのメンバーと遣り取りをする。二人で一人の人物を演じるのだが,その二人というのがKKKが最も敵視している黒人とユダヤ人なのだ。この二人が白人の差別主義者をまんまと騙すのだが,そこがハラハラドキドキであったり,コミカルであったりと,エンタメテイストでなかなか楽しませてくれるのである。そして,この映画に出てくるKKKのメンバーはどうみても利口そうには見えないのだが,そもそも,ロンが電話で話をするKKKの最高幹部デビッド・デュークにしてからが,ロンに向かって「キミの英語は完璧な白人英語だ」などとかなり間抜けなことを言って揶揄されたりするのである。少々やり過ぎとも思えるこのようなシーンには,ハリウッドで制作されていた黒人・白人モノ映画における黒人の扱いに対するスパイク・リーの反撃精神が表れていると言えるだろう。

 描かれている物語は一旦完結する。しかし,映画はそこでは終わらない。人種差別に終わりがないからだ。物語はドキュメンタリータッチで描かれる現代へと続いていくのだ。