とても丁寧で端正な言葉で紡がれた30数年にわたる男と女の想いを描いた恋愛小説。

昭和55(1980),成川弘之と戒能悠子は三鷹にある大学の文芸サークルで知り合う。ともに二十歳で,英語学専攻の二年生であった。弘之は英語漬けの日々を送っており,悠子もずっと英語に関わっていたいと思っている。

「せっかちとのんびりですもの」。悠子が言うように,悠子ははっきりとものを言い,自分の目標に向かってほとんど何の躊躇もなく進んでいく。そんな「せっかち」でポニーテールの悠子に弘之はいつの間にか惹かれていく。大学を卒業後,悠子は同時通訳を目指してアメリカに旅立ち,弘之は文芸翻訳の仕事を目指す。やがて悠子は国際会議の通訳も担当する一流の通訳に成長し,弘之も翻訳家として頭角を現す。

弘之の悠子への想いはまるで翻訳の作業のようである。

「無理に訳さずに待つことにして七日が過ぎると,さすがに気分が落ち込んだが,求める文章があるとき不意に現れることも分かっている。」(p.169)

忙しく動き回っている悠子が弘之の前に姿を現すのは,いつも突然のことであり,それは1年の間隔を置くこともあれば,もっと長いこともある。弘之はそれを待ち続ける。そして,会ったときの二人の会話は必然的に言葉の話に収斂していく。「同時通訳が礼儀正しいストリートファイターなら,翻訳家は作家というチャンプのスパーリングパートナーであろう。負けは許されない女と,チャンプを痛めつけてはならない男に接点があるとしたら,言葉を操る技術でしかない。」(p.124) 

二人の会話はまるで,英語と日本語という2つの言語を介して向き合う格闘技のようでさえある。「私たち翻訳家と通訳は海と空のようなものかもしれません,色は似ているけれど一つにはなれません,それでいて無視できない存在とでもいうのか,海は空の色を映しながらより深い色を見せます」(p.192)。はたして,2人の想いも海と空のように永遠に重なり合うことはなく,異なった着地点へと向かっていくのだろうか。そんな思いを読者に抱かせながら,物語は衝撃のラストへと続いていく。

読み終えた後,その余韻がいつまでも残る小説であった。それは,言葉の海を漂流する弘之と悠子の姿だけではなく,彼らを取り巻く登場人物たち彼らの大学の同級生である田上と小夜子,弘之の才能を高く評価し,彼を翻訳の世界に導きいれた編集者の原田の自分の人生に対する真摯な思いに共感したためでもあろう。

乙川優三郎の小説を読んだのはこれが初めてであるが,随所に現れる洗練されたレトリックを駆使した文体はとても味わい深いものがあり,急いで読み進めるのはもったいない気がする書物である。最後に,そのような文の一つを紹介しておきたい。

弘之が最初の翻訳書を出して,その本をマレーシアにいる父親に送るために渋谷の書店に立ち寄る場面である。

「白い光に満ちたビルの中は昼も夜もなく,眩しい書店に入り,文芸書の並ぶ棚を巡ってゆくと,鮨詰めの本たちは知性の鍵盤にも見えて奏者を待つようである。どのキーに触れるかで浮遊する世界は変わり,やがて新世界に着地する。」(p.117)

 

(このレビューは以前Yahoo!ブログに掲載した記事に加筆修正を施したものです。)