『コルシア書店の仲間たち』は,1960年代にミラノにあったコルシア・デイ・セルヴィ書店を通じて須賀敦子がかかわった人たちについて語ったエッセイであり,須賀の書いたもののなかでも私が最も気に入っている作品だ。

 

「(ミラノの)都心の目抜き通りにあるサン・カルロ教会の,いわば軒を借りたかたち」(p.15)で存在しているコルシア・デイ・セルヴィ書店は本を売るだけの普通の書店とは一味違っている。書店の人たちから「テレーサおばさま」と呼ばれている「世界的に著名な企業の大株主のひとり」(p.10)である小柄な老女・ツィア・テレーサがパトロンの一人であり,書店の仲間たちには,その書店をはじめたリーダー格のダヴィデ・マリア・トゥロルド神父と,彼の親友であるカミッロ・デ・ピアツ以外に,「まだ三十そこそこのペッピーノと彼よりは五,六歳年長のガッティ,ぺッピーノより二,三歳年長のルチア」(p.12)がいた。須賀は後に書店員のペッピーノと結婚するが,数年の結婚生活ののち,ペッピーノの死によって彼女の結婚生活は終わりを告げる。

 コルシア・デイ・セルヴィ書店には,彼らを取り巻く様々な人たちがやってくる。「夕方六時をすぎるころから,一日の仕事を終えた人たちが,つぎつぎに書店にやってきた。作家,詩人,新聞記者,弁護士,大学や高校の教師,聖職者。そのなかには,カトリックの司祭も,フランコの圧政をのがれてミラノに亡命していたカタローニャの修道僧も,ワルド派のプロテスタント牧師も,ユダヤ教のラビもいた。そして,若者の群があった。…そんな人たちが,家にかえるまでの短い時間,新刊書や社会情勢について,てんで勝手な議論をしていた。(p.40)

 コルシア・デイ・セルヴィ書店は,書店員と,客であり友人でもある人たちとの一種の共同体であり,サロンなのである。そういった雑多な人たちとの触れ合いを,須賀敦子はミラノに住む一人の庶民の立場から,冷静ではあるが暖かい目線で描いていく。由緒ある家柄出身でコルシア・デイ・セルヴィ書店の仲間をよく晩餐に招待してくれたフェデリーチ婦人。エリトリア出身で文盲のミケーレはアルバイトで儲けたお金で夏のスーツを2枚も買ったために,零下10度の冬に暖房用の石炭を買うお金がくなって,朝の6時半に須賀夫妻のアパートにやってくる。「…ミケーレがシニョーラァ,と泣き声をたてた。…とにかく,台所の明かりをつけて,コーヒーを淹れた。あたたかい。そういって,ミケーレはうれしそうに笑った。」(pp.102-103)しばらくしてミケーレは絨毯の行商をするようになり,ある日,須賀はブエノス・アイレス大通りでばったりミケーレに出会う。「コーヒーをいっぱいぼくにおごらせてください。ミケーレは笑いながら言った。」(p.111)その後,しばらくしてミケーレはどこかに行ってしまう。須賀は心配するが,どうすることもできない。そして,須賀のミケーレに対する視線は次のような文章で締めくくられる。ミケーレが須賀敦子たちに見せてくれた様々な出来事は「ミケーレが私たちを楽しませるために見せてくれた,夢芝居だったのではなかったか。ミケーレという美しい黒人の役者に惚れこんだ私たちが,知らず知らずのうちに書き続けた脚本を,彼は泣いたり笑ったりしながら,つぎつぎと演じてくれただけではなかったか。ミケーレがいちばんりっぱに見えたあの初夏の朝,ブエノス・アイレス大通りは彼の舞台で,わたしは,招待されたことにも気づかない,いい気な観客だったのかもしれなかった。」(pp.113-114) その他,この本には,須賀がかかわった様々な人たちが登場するが,一貫しているのは,その相手が貴族であろうが大富豪であろうが,戦災孤児で盗癖のある青年であろうが,その人たちとの触れ合いを楽しんでいることだ。そのため,読者である私たちも,この本に登場する人物たちがあたかも自分の仲間であるかのように錯覚してしまい,気がついた時には須賀敦子の世界にどっぷりとつかってしまっているのである。淡々とした,抑制のきいた文章でありながら読者を引き込んでいく須賀の文章に触れた時,私たちは本当の知性とはこういうものなのかという感慨を持たざるを得ないのである。

須賀敦子がコルシア・デイ・セルヴィ書店にかかわるようになったきっかけは,ロンドンで出会ったダヴィデの紹介によるものである。ダヴィデは司祭であるとともに詩人であり,彼とその書店のグループは,いわゆるカトリック左派と呼ばれる方向性を持っていた人たちで,「せまいキリスト教の殻にとじこもらないで,人間のことばを話す『場』をつくろうというのが,コルシア・デイ・セルヴィ書店をはじめた人たちの理念だった。」(p.34) しかし,1960年ごろからの数年間にダヴィデとコルシア・デイ・セルヴィ書店とのあいだには徐々にみぞのようなものが意識されるようになる。それは,ダヴィデが求めていた共同体の理想とルチア,ガッティ,ペッピーノとの考え方のギャップであった。ダヴィデはコルシア・デイ・セルヴィ書店を去り,ベルガモの山の中に自分の理想とする共同体を作る。そして東京に帰って間もない須賀のもとに,ルチアから,コルシア・デイ・セルヴィ書店がその幕を閉じたことを知らせる手紙が届く。197112月のことである。1970年の秋ごろから学生運動が過激化し,「若者たちの側に立ちつづけたコルシア・デイ・セルヴィ書店を教会がマークしはじめ,ある日突然,一方的な通告が届いた」(p.220)ためである。

 本書がその形を取り始めたころ,須賀敦子はミラノの友人からの電話でダヴィデが死んだことを知らされる。須賀は「ダヴィデに―あとがきにかえて」と題された最終章を次の文章で締めくくることによって『コルシア書店の仲間たち』の筆を置く。

 「コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって,私たちは,ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように,あれこれと理想を思い描いた。そのことについては,書店をはじめたダヴィデも,彼をとりまいていた仲間たちも,ほぼおなじだったと思う。それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを,若い私たちは無視して,いちずに前進しようとした。その相違が,人間のだれもが,究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで,人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり,人生は始まらないということを,すくなくとも私は,ながいこと理解できないでいた。 

若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって,私たちはすこしずつ,孤独が,かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」 (pp.227-228

大仰な言い回しやセンチメンタリズムを排した須賀敦子の文章は,きっと彼女が「自分自身の孤独を確立」したことから生み出されたものであり,読者である私たちは,須賀の記した最後の一文に出会うことができるだけでも,この本を手に取った幸運を噛みしめることになるのである。

 

(このレビューは以前Yahoo!ブログに掲載した記事に加筆修正したものです。)